石原プロモーションはなぜ解散したの?石原軍団の絆とは!!?
昭和を彩った石原裕次郎率いる石原プロモーション、58年の歴史に幕。映画・ドラマで時代を席巻し、結束の固い「石原軍団」は多くのファンを魅了。解散式では、舘ひろしが石原プロへの思いを語り、絆の深さをあらためて感じさせた。石原プロの魂は、今後も受け継がれる。
舘プロへの池田努の加入
舘ひろしが池田努を迎えた理由とは?
石原プロの魂と家族への思いを受け継ぐため。
舘ひろしさんは、石原プロモーションの代表取締役社長を務めていました。

✅ 舘ひろしが設立した芸能事務所「舘プロ」に、新たに5人の俳優・アーティストが加わり、本格始動しました。
✅ 舘プロは、石原プロモーション出身の俳優や、若手俳優、女優、シンガー・ソングライターなど、豊かな顔ぶれが集まりました。
✅ 舘ひろしは、石原裕次郎さんや渡哲也さんの背中を追い続け、今度は自らが後輩たちを率いる決意を表明し、映画づくりの情熱を仲間と継承していくことを誓いました。
さらに読む ⇒デイリースポーツ出典/画像元: https://origin.daily.co.jp/gossip/2021/07/14/0014499913.shtml石原プロモーションの伝統を受け継いで、舘プロが発展していくことを期待しています。
舘ひろしが設立した個人事務所『舘プロ』に、石原プロモーションの後輩である池田努が所属俳優第2号として加わることが決定した。
池田は03年に『西部警察2003』の撮影中に事故を起こし、重軽傷者を出す事態に。
その後、石原プロの渡哲也社長が責任を取り、ドラマは制作中止となった。
今回、舘が池田を事務所に迎えたのは、渡さんの『家族』への思いを受け継ぎ、『石原プロの魂』を守りたいという意志があると考えられる。
石原プロの後輩で、新しい所属先を探すのに苦労していた池田にとっては、舘の温かいサポートは大きな支えとなるでしょう。
舘ひろしさんって、かっこいいよね!
石原プロモーションの解散式
石原プロ、ついに解散!その理由は?
石原裕次郎さん没後、58年の歴史に幕。
解散式には、多くの関係者が集まりました。

✅ 石原プロモーションが創業58年の歴史に幕を閉じる。
✅ 石原裕次郎の遺言により、会社をたたむことになった。
✅ 舘ひろしは、石原プロを「おもちゃ箱」と表現し、個性的な作品作りと俳優を大切にする社風を振り返った。
さらに読む ⇒東京新聞出典/画像元: https://www.tokyo-np.co.jp/article/79044石原プロモーションの看板が下ろされるのは、時代の流れを感じますね。
石原プロモーションが2023年1月16日、東京都調布市の事務所で解散式を行いました。
昭和の大スター石原裕次郎さんが1963年1月16日に事務所を立ち上げてからちょうど58年。
裕次郎さんや渡哲也さん、舘ひろし(70)らを擁し゛石原軍団゛の愛称で親しまれた名門事務所が事実上の終止符を打ったのです。
式には舘や徳重聡(42)、池田努(42)、増本尚(21)の4人の俳優や浅野謙治郎専務ら事務所関係者約20人が出席。
神田正輝(70)はテレビ番組の生放送のため欠席しました。
事務所内には祭壇が設けられ、中央に石原プロの商号が入った看板、左に裕次郎さん、右に渡さんの写真が置かれ、脇には裕次郎さん、渡さんが長年CMに出演した「松竹梅」の瓶や花が供えられました。
浅野専務が「きょう株式会社石原プロモーション商号看板を石原裕次郎さんの仏前に返します」とあいさつし、最後は全員で「二礼二拍手一礼」で締めくくりました。
式後、舘は「いざ閉めるとなると、やっぱり寂しいな」とコメント。
渡さんを慕い1983年2月に石原プロに入り、約38年間過ごしてきた舘は、裕次郎さんとの思い出話として、亡くなる前年にハワイで裕次郎さんの運転手を務めた際に裕次郎さんとまき子さんをブランチに招待したエピソードを披露した。
石原プロの看板って、もう見れないんかな?
石原軍団の絆
石原軍団解散、舘ひろしは何を語った?
2人のDNAと絆を若い俳優に伝えられずと。
石原軍団は、結束の固い集団でした。

✅ 渡哲也が俳優を引退し、石原プロモーションが解散することになった。
✅ 解散は渡哲也の年齢と体調を考慮した上での決断であり、石原裕次郎の二十七回忌の直前にも同様の話が出たが、舘ひろしの意向により断念された。
✅ 舘ひろしの渡哲也に対する強い信頼と石原プロでの仕事への思いが、解散を阻止した。
さらに読む ⇒日刊ゲンダイ出典/画像元: https://www.nikkan-gendai.com/articles/view/geino/252298渡哲也さんと舘ひろしの絆は、本当に深いものだったんですね。
裕次郎さんと渡さんの写真に静かに手を合わせた舘は、「裕次郎さんの温かさみたいなものが僕の中に残っている。
渡さんの俳優としてのたたずまい、ありかたも残っている。
それを若い俳優にうまく伝えられなかったのは僕の不徳の致すところ。
2人のDNAが自分の中に残っているのを今あらためて感じている。
すばらしい会社、すばらしい事務所でした」と振り返り、所属俳優はそれぞれ独立や他の事務所に移籍していくことを明かしつつ、鉄の結束を誇った石原軍団の絆は続くことを強調した。
一方、石原まき子会長は「来るときが来ましたね」と心境を語った。
浅野専務らは石原プロの商号が入った看板を手に事務所を出発し、東京都内の渡さんと裕次郎さんの自宅をそれぞれ訪問し、仏壇に解散を報告した。
舘ひろしは、昨年8月に亡くなった渡哲也さんと深い絆で結ばれていました。
渡さんが闘病中、舘は献身的に寄り添い、熱い天ぷらを届けるなど、温かいサポートを続けました。
20年ほど前、渡さんが肺気腫を患った際は、舘もタバコをすっぱりやめるなど、渡さんの健康を気遣っていました。
晩年には、電話で頻繁に連絡を取り合い、渡さんは舘への感謝を伝えていたそうです。
映画「ヤクザと家族TheFamily」で舘が演じた組長は、渡さんの影響を強く受けており、劇中のシーンにも二人の強い絆が感じられます。
石原軍団の絆は、時代を超えて語り継がれるでしょう。
石原プロモーションは、日本の芸能史に大きな足跡を残しました。
💡 石原プロモーションは、映画やテレビドラマで数々の名作を生み出しました。
💡 石原プロモーションは、俳優の育成にも力を入れてきました。
💡 石原プロモーションは、社会貢献活動にも積極的に取り組んできました。