Beyond Carpet Logo Menu opener

EASTEND×YURIの『DA.YO.NE』は、今も語り継がれる伝説の曲?90年代日本語ラップシーンの金字塔とは!!?

「DA.YO.NE」旋風再び!90年代、日本語ラップの可能性を切り開いたEASTEND×YURI。インディーズからのデビュー、紅白出場、そして地方版リリース… 既成概念を覆す斬新さで日本中を席巻した。その功績と、市井由理のソロ活動休止、再結成、そして約20年ぶりの音楽活動再開までを追う。ヒップホップシーンに革命を起こした彼らの軌跡を振り返る。

EASTEND×YURIの『DA.YO.NE』は、今も語り継がれる伝説の曲?90年代日本語ラップシーンの金字塔とは!!?

📘 この記事で分かる事!

💡 EASTEND×YURIは、ヒップホップグループEASTENDとアイドルグループTPDのメンバー市井由理によるユニット

💡 「DA.YO.NE」は、1994年にリリースされたEASTEND×YURIのデビューシングル

💡 「DA.YO.NE」は、オリコン7位を記録し、日本語ラップシーンのブームを牽引した

それでは、EASTEND×YURIの軌跡と『DA.YO.NE』が与えた影響について、詳しく見ていきましょう。

EASTEND×YURIの誕生と「DA.YO.NE」のヒット

EASTEND×YURIのデビュー曲はどんな挑戦だった?

日本語ラップの賭け

それでは、Chapter-1「EASTEND×YURIの誕生と「DA.YO.NE」のヒット」について解説してまいります。

中古盤質】・・
中古盤質】・・

✅ HMV は、イギリスのアーティスト「East End X Yuri」の 7 インチアナログシングル「DA EYO NE」を 9 月 23 日に発売することを発表しました。

✅ このシングルは、HMV Record Shop 渋谷店で先行発売され、その後、HMV&BOOKS online での通販も開始される予定です。

✅ シングルには、新曲 「DA EYO NE」と、そのインストゥルメンタルバージョンが収録されており、価格は 1,000 円(税込)です。

さらに読む ⇒̒ʔ̐出典/画像元: https://www.hmv.co.jp/artist_East-End-X-Yuri_000000000039231/item_%E3%80%90%E4%B8%AD%E5%8F%A4-%E7%9B%A4%E8%B3%AAAB%E3%80%91-DA%E3%83%BBYO%E3%83%BBNE_14307120

当時、日本語ラップはまだまだマイナーなジャンルだったと思うので、このようなヒット曲は画期的だったと思います。

1994年、ヒップホップグループEASTENDとアイドルグループTPDのメンバー市井由理によるユニット、EASTEND×YURIが結成されました。

彼らは、これまで多くのヒップホップアーティストの作品を世に送り出してきたインディーズレーベル、ファイルレコードからデビューしました。

ファイルレコードにとって、EASTEND×YURIのデビューは、日本語ラップが受け入れられにくい時代における最後の賭けであり、売れなければ他のアーティストへの投資も諦める覚悟だったようです。

EASTEND×YURIは、従来のヒップホップのイメージを覆し、より多くの人に受け入れられる楽曲を目指し、GAKU-MCとRHYMESTERのMummy-Dが作詞を手掛けた「DA.YO.NE」をリリースしました。

サビのフレーズは、「なんだ、そりゃ」から「だよね」に変更され、親しみやすいフレーズが受け、楽曲は北海道でブレイクし、オリコン7位を記録しました。

その後、EPICソニーからシングルカットされ、ミニアルバム発売から2か月後にはオリコン週間シングルランキングで94位にランクインしました。

当時、日本語ラップは、まだまだ受け入れられへんかったなぁ。ようヒットしたわ。

「DA.YO.NE」がもたらした衝撃と影響力

DA.YO.NEはどんな影響を与えた?

日本語ラップを広めた

続いては、Chapter-2「「DA.YO.NE」がもたらした衝撃と影響力」についてお話します。

×「」が日本語ラップ史に残した功績とは?復帰を機に振り返る
×「」が日本語ラップ史に残した功績とは?復帰を機に振り返る

✅ 市井由理が約20年ぶりに音楽活動を再開し、ヒップホップグループ・MAGiC BOYZの1stアルバムに収録される「パーリーしようよ」で復帰を果たす。

✅ 市井由理は90年代にEAST END×YURIとしてミリオンヒット「DA.YO.NE」を世に送り出し、日本語ラップシーンの黎明期を代表する存在として名を馳せた。

✅ 「DA.YO.NE」は、わかりやすくキャッチーなメロディーと、日本語ラップの英語的なニュアンスを翻訳した独特な歌詞によって、当時多くの若者を魅了した一方、商業的な成功に伴い、日本語ラップシーン内部では賛否両論を巻き起こした。

さらに読む ⇒リアルサウンド|音楽、映画・ドラマ、エンタメ×テック、書籍のカルチャーサイト出典/画像元: https://realsound.jp/2017/08/post-100065.html

確かに、日本語ラップシーンでは、賛否両論あったでしょう。

しかし、多くの人に愛されたことには間違いありません。

DA.YO.NEは、日本のヒップホップシーンが本格的に注目されるきっかけとなり、数々のヒップホップアーティストが台頭する流れを生み出しました

また、日本のヒップホップグループ史上初の紅白出場を果たし、日本語ラップを広く知らしめる存在となりました。

一方で、キャッチーな楽曲は、ヒップホップリスナーからはセルアウトと批判されることもありました。

しかし、その影響力は大きく、現在でも多くのリスナーから支持されています。

この楽曲は、日本語ラップの普及に大きく貢献したと言えるでしょう。

次のページを読む ⇒

90年代ヒップホップを席巻したEASTEND×YURIが復活!「DA.YO.NE」地方版ブームを振り返り、新曲も。あの頃の熱狂が再び!