崇仁地区の公営住宅、なぜ取り壊される?住民たちの思いとは!?
京都・崇仁地区。かつて差別と貧困に苦しんだ場所は、今、再開発の波に。歴史と人々の記憶を紐解き、未来へ繋ぐ。学生たちのフィールドワーク、住民の思い。過去を学び、差別のない社会を築くために。
💡 京都市崇仁地区の公営住宅が、京都市立芸術大学の移転に伴い取り壊される
💡 住民たちは住み慣れた街への思い入れや市の対応への不満を抱えている
💡 学生たちは、地域の歴史や文化を記録し、未来へと繋ぐための試みをしています
それでは、最初の章に移りましょう。
崇仁地区の歴史と社会問題
京都・崇仁地区、差別の歴史と現在抱える問題とは?
過去の差別と高齢化、再開発が進む地域。
歴史と社会問題、そして街の未来。
複雑な状況が垣間見えますね。

✅ 崇仁地区は、長年「差別」に苦しんできた歴史を持ち、かつては劣悪な住環境でした。住民たちは、京都市に対し「改良住宅」の建設を求める運動を行い、1956年に実現しました。しかし、現在、京都市立芸術大学の移転に伴い、改良住宅が取り壊されることが決まり、住民たちは立ち退きを迫られています。
✅ 住民たちは、住み慣れた街への思い入れや、市の対応への不満を抱えています。特に高齢者にとって、引っ越しは心身ともに大きな負担です。また、市は財政難を理由に、老朽化した改良住宅の建て替えを長年放置していたにもかかわらず、芸大移転が決まると、急いで新たな公営住宅を建設し、住民に立ち退きを迫ったことに対する怒りも表明しています。
✅ 一方で、街の変化を前向きに捉えている住民もいます。大学移転を機に、新しい出会いや活性化に期待している声もあります。街の歴史を伝え、残していくことの重要性も認識しながら、変化を受け入れようとする住民たちの姿が描かれています。
さらに読む ⇒関西テレビ放送カンテレ出典/画像元: https://www.ktv.jp/news/feature/191210/住み慣れた場所を離れるのは、どんな年齢の方にとっても辛いことだと思います。
京都市にある崇仁地区は、かつては西日本最大の被差別部落として知られており、長年にわたる差別と偏見の影響で経済的に苦境に立たされ、住民は様々な困難に直面してきました。
崇仁地区は京都駅東口の一等地でありながら、長らくタブー視されてきた地域で、その歴史は室町時代に六条河原処刑場が設置されたことに始まり、被差別民が移り住み、河原乞食と呼ばれていました。
その後、皮革産業や死体処理など、周辺住民からは忌み嫌われる仕事に従事し、江戸時代には穢多と呼ばれる被差別階級として位置づけられました。
明治以降も差別は続き、銀行取引や教育機関へのアクセスにおいて不平等な扱いを受けました。
近年では、住民の高齢化が進み、再開発が進められています。
崇仁地区は、被差別民の歴史と、差別がもたらした社会問題を象徴する場所であり、現在もその課題と向き合っています。
そりゃあ、高齢者の方ならなおさらやろ。こんな話、聞かされる方がツライわ。
差別と変革の歴史
崇仁地区の過去と現在、知っていますか?
差別と貧困を乗り越え、街は変化しています。
差別と変革の歴史。
長い年月を経て、崇仁地区はどのように変化してきたのでしょうか。

✅ 柳原銀行記念資料館は、明治時代に被差別部落の住民によって設立された日本で唯一の銀行であり、差別のために資金を得られなかった町内の皮革業者などに融資を行い、産業の育成・振興に貢献した。
✅ 大正期には山城銀行と改称し、事業を拡大していったが、金融恐慌などの影響を受けて昭和2年に倒産。その後、建物は商店や借家として使用されてきた。
✅ 昭和61年に道路の拡幅工事に伴う建物の取壊し案が出たことをきっかけに、地域では建物をまちづくりのシンボルとして保存する運動が盛り上がり、平成9年に柳原銀行記念資料館として開館した。
さらに読む ⇒村内伸弘のブログが好き😍ムラゴンブログ出典/画像元: https://murauchi.muragon.com/entry/789.html差別と闘いながら、地域のために尽力した人々の物語は、感動的です。
崇仁地区は、江戸時代から賤民と呼ばれる人々が住んでいた場所で、差別や貧困に苦しむ歴史がありました。
明治政府による解放令発布後も、差別は続き、戦後も貧困と治安の悪化に悩まされました。
しかし、1969年の同和対策事業特別措置法により、同和地区に認定され、生活や教育への支援が進められました。
現在では、過去のいわれを気にせず、新しい街づくりを目指す若者たちが現れ、崇仁地区は新たな章を迎えようとしています。
同和問題の歴史を伝える「柳原銀行記念館」は、当時の状況を伝える貴重な施設として、多くの人に訪れられています。
差別という社会構造に立ち向かう人々の努力が、歴史に刻まれた貴重な遺産でしょう。
次のページを読む ⇒
京都芸術大学の学生が崇仁地区をフィールドワーク。差別の歴史と現状を学び、差別のない社会を願う。移転問題に揺れる住民の思いも知る。