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コント・レオナルド、解散の真相は?伝説のコンビとは!?

伝説のコント師・レオナルド熊の波乱万丈な人生!天才コント師と名脇役、2人の男の光と影を描く。社会風刺コントで一世を風靡した「コント・レオナルド」の結成秘話から解散、そして2人のその後まで、知られざる物語を解き明かす!

コント・レオナルド、解散の真相は?伝説のコンビとは!?

📘 この記事で分かる事!

💡 コント・レオナルドは、レオナルド熊と石倉三郎によるコントコンビ

💡 社会風刺を得意としたコントで人気を博した

💡 解散後も俳優として活躍する石倉三郎とレオナルド熊の関係

それでは、コント・レオナルドの軌跡について詳しく見ていきましょう。

レオナルド熊の生涯

レオナルド熊はどんな芸風で人気を得た?

不条理コント

レオナルド熊さんの生涯、大変興味深いですね。

レオナルド熊
レオナルド熊

✅ レオナルド熊は、石倉三郎とのコントコンビ「ラッキーパンチ」や「コント・レオナルド」で人気を博したコメディアン・俳優です。

✅ 彼は、持ち病の結核やコンビ解消・再結成を繰り返すなど、困難な状況の中でも芸活動を続け、政治・経済・時事問題を茶化す不条理コントで人気を得ました。

✅ その後も、石井光三との「劇団七曜日」を立ち上げたり、若手とコンビを組むなど活動を続けましたが、1994年に膀胱癌と診断され、同年12月11日に死去しました。

さらに読む ⇒Wikiwand出典/画像元: https://www.wikiwand.com/ja/%E3%83%AC%E3%82%AA%E3%83%8A%E3%83%AB%E3%83%89%E7%86%8A

レオナルド熊さんの波乱に満ちた人生、本当に色々あったんですね。

レオナルド熊は、北海道出身の漫才師で、本名は熊田 卯之助。

若くして上京し、ストリップ劇場の幕間コントなどで活動していました。

1973年に結核で長期入院し、療養中に石倉三郎と「ラッキーパンチ」を結成しましたが、体調不良などで1年弱で解散しました。

その後、弟子であるブッチー武者とのコンビを経て、初代「コント・レオナルド」を結成し、自身も「レオナルド熊」に改名しました。

しかし、コンビ仲が悪化し、武者の転倒事故をきっかけに解散。

1981年には石倉三郎と再結成し、二代目「コント・レオナルド」として活動を始めます。

政治・経済・時事問題を不条理コントで茶化すスタイルが人気となり、1983年にはサントリービール「ナマ樽」のCMで「いかにも一般大衆が喜びそうな」というセリフが流行語になりました。

しかし、石倉とのコンビ仲は再び悪化し、1985年に解散して絶縁しました。

その後は「劇団七曜日」を立ち上げ、若手お笑い系役者の登竜門となりましたが、晩年は芸能界から距離を置くようになりました。

1994年10月に末期の膀胱癌と診断され、12月11日に急性心不全で死去しました。

59歳没。

いやー、熊さん、ホンマに苦労人やったんやなぁ。

石倉三郎の俳優人生

石倉三郎さんはどんな俳優?

名脇役

石倉三郎さんの俳優人生、長い年月を経てきたんですね。

石倉三郎「高倉健さんのこと、今も死んだと思っていない」
石倉三郎「高倉健さんのこと、今も死んだと思っていない」

✅ 石倉三郎は、高倉健にスカウトされ俳優の世界に入り、コントグループ「レオナルド」でブレイクするも解散、その後俳優に復帰し、数々の作品に出演してきた。

✅ 50年の俳優人生で初主演を果たした映画「つむぐもの」について、石倉三郎は、主演の責任を感じながらも、多くの人に見てほしいと語る。

✅ 石倉三郎は、高倉健への感謝と、自身の俳優人生を振り返り、俳優を続ける喜びと、年齢を重ねるにつれて感じる責任について語っている。

さらに読む ⇒ 週刊女性PRIME出典/画像元: https://www.jprime.jp/articles/-/7047?display=b

石倉さんの言葉には、俳優としてのプライドと、長く芸能界で生きてきた経験からくる重みを感じます。

石倉三郎さんは、脇役として映画やドラマに引っ張りだこの俳優です。

香川県小豆島出身で、父親は板前でしたが、生活は苦しく、学校のお金も出せない時がありました。

両親が大阪に出稼ぎに行ったため、石倉三郎少年は新聞配達をして家計を助けていました。

中学卒業後は兄が勤めていたポンプ製造会社に就職しましたが、19歳の時に俳優を目指して上京し、21歳から東映に在籍して俳優デビューを果たしました。

俳優デビュー後は任侠映画の端役などを演じていましたが、26歳の時にスタッフを殴ってしまい、東映を退社しました。

その後は舞台に活躍の場を移して活動していましたが、レオナルド熊さんとのコンビがうまくいかず、一時期芸能界を引退してマザー牧場で働いていました。

その後再び芸能界に戻り、お笑いタレントをしていましたが、1985年には俳優にシフトして、市川崑監督の作品に多く出演し、名脇役としての地位を確立しました。

石倉三郎さんは高倉健さんと出会い、俳優の道に進むことを決意しました。

19歳の時に上京した石倉三郎さんは、青山にある喫茶店で高倉健さんと出会い、仲良くなります。

高倉健さんは石倉三郎さんが俳優を目指していることを知り、「東映においでよ。

僕が紹介してあげるよ」と誘い、石倉三郎さんは東映に入社しました。

石倉三郎さんは、お笑いコンビ「チャップリンズ」「コントチャップリンズ」「ラッキーパンチ」「コント・レオナルド」などを結成し、活動していました。

レオナルド熊さんとのコンビは、レオナルド熊さんのプライドの高さと石倉三郎さんの酒癖の悪さから、喧嘩別れで解散しました。

石倉三郎さんは、映画「四十七人の刺客」「どら平太」「相棒-劇場版II-警視庁占拠!特命係の一番長い夜」「つむぐもの」など、ドラマ「ひらり」「課長サンの厄年」「海まで5分」「すずらん」「葵徳川三代」「功名が辻」「下町ロケット」などに出演しています。

2016年には、「つむぐもの」で映画初主演を果たしました。

彼の生き様は、芸術家としての苦悩と、それを乗り越えようとする強い意志を物語っています。

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伝説のコントコンビ「コント・レオナルド」が再び!ナイツが石倉三郎と爆笑トーク!