コント・レオナルド、解散の真相は?伝説のコンビとは!?
伝説のコント師・レオナルド熊の波乱万丈な人生!天才コント師と名脇役、2人の男の光と影を描く。社会風刺コントで一世を風靡した「コント・レオナルド」の結成秘話から解散、そして2人のその後まで、知られざる物語を解き明かす!
💡 コント・レオナルドは、レオナルド熊と石倉三郎によるコントコンビ
💡 社会風刺を得意としたコントで人気を博した
💡 解散後も俳優として活躍する石倉三郎とレオナルド熊の関係
それでは、コント・レオナルドの軌跡について詳しく見ていきましょう。
レオナルド熊の生涯
レオナルド熊はどんな芸風で人気を得た?
不条理コント
レオナルド熊さんの生涯、大変興味深いですね。
レオナルド熊は、北海道出身の漫才師で、本名は熊田 卯之助。
若くして上京し、ストリップ劇場の幕間コントなどで活動していました。
1973年に結核で長期入院し、療養中に石倉三郎と「ラッキーパンチ」を結成しましたが、体調不良などで1年弱で解散しました。
その後、弟子であるブッチー武者とのコンビを経て、初代「コント・レオナルド」を結成し、自身も「レオナルド熊」に改名しました。
しかし、コンビ仲が悪化し、武者の転倒事故をきっかけに解散。
1981年には石倉三郎と再結成し、二代目「コント・レオナルド」として活動を始めます。
政治・経済・時事問題を不条理コントで茶化すスタイルが人気となり、1983年にはサントリービール「ナマ樽」のCMで「いかにも一般大衆が喜びそうな」というセリフが流行語になりました。
しかし、石倉とのコンビ仲は再び悪化し、1985年に解散して絶縁しました。
その後は「劇団七曜日」を立ち上げ、若手お笑い系役者の登竜門となりましたが、晩年は芸能界から距離を置くようになりました。
1994年10月に末期の膀胱癌と診断され、12月11日に急性心不全で死去しました。
59歳没。
石倉三郎の俳優人生
石倉三郎さんはどんな俳優?
名脇役
石倉三郎さんの俳優人生、長い年月を経てきたんですね。
石倉三郎さんは、脇役として映画やドラマに引っ張りだこの俳優です。
香川県小豆島出身で、父親は板前でしたが、生活は苦しく、学校のお金も出せない時がありました。
両親が大阪に出稼ぎに行ったため、石倉三郎少年は新聞配達をして家計を助けていました。
中学卒業後は兄が勤めていたポンプ製造会社に就職しましたが、19歳の時に俳優を目指して上京し、21歳から東映に在籍して俳優デビューを果たしました。
俳優デビュー後は任侠映画の端役などを演じていましたが、26歳の時にスタッフを殴ってしまい、東映を退社しました。
その後は舞台に活躍の場を移して活動していましたが、レオナルド熊さんとのコンビがうまくいかず、一時期芸能界を引退してマザー牧場で働いていました。
その後再び芸能界に戻り、お笑いタレントをしていましたが、1985年には俳優にシフトして、市川崑監督の作品に多く出演し、名脇役としての地位を確立しました。
石倉三郎さんは高倉健さんと出会い、俳優の道に進むことを決意しました。
19歳の時に上京した石倉三郎さんは、青山にある喫茶店で高倉健さんと出会い、仲良くなります。
高倉健さんは石倉三郎さんが俳優を目指していることを知り、「東映においでよ。
僕が紹介してあげるよ」と誘い、石倉三郎さんは東映に入社しました。
石倉三郎さんは、お笑いコンビ「チャップリンズ」「コントチャップリンズ」「ラッキーパンチ」「コント・レオナルド」などを結成し、活動していました。
レオナルド熊さんとのコンビは、レオナルド熊さんのプライドの高さと石倉三郎さんの酒癖の悪さから、喧嘩別れで解散しました。
石倉三郎さんは、映画「四十七人の刺客」「どら平太」「相棒-劇場版II-警視庁占拠!特命係の一番長い夜」「つむぐもの」など、ドラマ「ひらり」「課長サンの厄年」「海まで5分」「すずらん」「葵徳川三代」「功名が辻」「下町ロケット」などに出演しています。
2016年には、「つむぐもの」で映画初主演を果たしました。
コント・レオナルドの軌跡
コント・レオナルド、解散理由は?
コンビ仲悪化
コント・レオナルド、懐かしいですね。
コント・レオナルドは、レオナルド熊が率いた日本のコントコンビです。
1979年に結成され、1985年に解散しました。
初代コント・レオナルドは、レオナルド熊とダヴィンチ白熊で結成されましたが、コンビ仲が悪く、熊の執拗ないじめを受けた武者がノイローゼに掛かる深刻な症状となり、解散しました。
その後、熊は石倉三郎と「ラッキーパンチ」を結成しましたが、熊の体調不良により解散しました。
1981年に、石倉と再び「コント・レオナルド」を結成し、社会風刺を交えたコントで人気を得ました。
しかし、コンビ仲は再び悪化し、1985年に解散しました。
コント・レオナルド解散後、熊は劇団で俳優・主宰として活躍し、石倉は俳優として現在も活躍しています。
コント・レオナルドの再結成と解散
コント・レオナルドは何年解散した?
1985年
コント・レオナルドの再結成と解散、本当に複雑な関係だったんですね。
コント・レオナルドは、レオナルド熊と石倉三郎による日本のコントコンビで、1979年に結成され、1985年に解散しました。
熊は、元弟子のゆーとぴあ・ホープの紹介で、石倉と「ラッキーパンチ」を結成しましたが、熊の体調不良とドタキャン癖により、わずか1年で解散しました。
その後、熊は弟子であるブッチー武者と「熊田うつぞう・にげろう」を組み、後に「コント・レオナルド」に改称しましたが、武者のノイローゼと怪我により、石倉が再び加入し、1981年に「コント・レオナルド」を再結成しました。
鋭い社会風刺で人気を博しましたが、金銭トラブルや性格の不一致により、1985年に再解散しました。
熊は俳優として、石倉は俳優として活躍を続けました。
BS朝日「お笑い演芸館」でコント・レオナルド特集
3月11日放送の「お笑い演芸館」の見どころは?
コント・レオナルド特集
BS朝日「お笑い演芸館」、コント・レオナルド特集楽しみですね。
3月11日(土)放送のBS朝日「お笑い演芸館」では、ナイツ、ハマカーン、タイムマシーン3号、ゆりやんレトリィバァ、カミナリ、宮川大助・花子らがネタを披露します。
ゲスト出演は石倉三郎で、番組内の「お笑いタイムマシン」コーナーで、石倉と亡くなった元相方・レオナルド熊のコンビ「コント・レオナルド」が特集されます。
1980年代に人気を博したコント・レオナルドを、ナイツが石倉と共に振り返ります。
芸人たちのネタはもちろん、ナイツのトークもお楽しみください。
コントレオナルドは、レオナルド熊と石倉三郎が結成したお笑いコンビで、1980年から1985年まで活動しました。
政治や時事問題をテーマにしたコントで人気を博し、「生樽」のCMで「いかにも一般大衆が喜びそうなアイデアですね」というフレーズは流行語になりました。
レオナルド熊は解散後、『劇団七曜日』を設立し、ピンクの電話やデンジャラスなどのお笑い芸人を育成しました。
石倉三郎はビートたけしの番組や市川崑監督の映画に出演するなど、役者としても活躍しました。
コント・レオナルド、彼らの伝説はこれからも語り継がれていくでしょう。
💡 コント・レオナルドは、レオナルド熊と石倉三郎によるコントコンビ
💡 社会風刺を得意としたコントで人気を博した
💡 解散後も俳優として活躍する石倉三郎とレオナルド熊の関係