児島明子さんって、どんな人?ミス・ユニバースから女優へ!
💡 ミス・ユニバースに輝いた初の日本人
💡 女優として活躍した経歴
💡 宝田明さんとの結婚と離婚
それでは、最初の章に移りましょう。
ミス・ユニバースへの道
本日は、ミス・ユニバース1959の児島明子さんについてお話します。
✅ 1959年、日本人、アジア人として初めてミスユニバースに輝いた人物モデル。
✅ ミスユニバース優勝後、映画出演オファーを受けたが静かな生活を望み断り、1966年には俳優の宝田明と結婚、娘をもうけた。
✅ 1984年に離婚し娘の親権を持ち、その後は静かに暮らしている。
さらに読む ⇒ Famous Birthdays出典/画像元: https://jp.famousbirthdays.com/people/akiko-kojima.html本当に素晴らしい経歴ですね。
1936年、東京都世田谷区で生まれた児島明子さんは、幼少期から水泳に親しみ、高校時代には平泳ぎ選手として活躍していました。
1953年、姉の代わりにミス・ユニバースに応募し、準ユニバースに入賞。
その後、ファッションモデルとして活動を始め、1958年にはミスユニバースの選考会に東京代表として出場しますが、選考会前日に起きた追突事故で負傷し、大会を棄権しました。
翌年、再びミスユニバース日本代表の選考会に応募し、22歳で日本代表に選ばれました。
1959年7月に行われたミスユニバース世界大会では、ブラジル、アメリカ、イギリス、ノルウェーなどの各国代表を抑え、見事優勝を果たしました。
日本人として初、アジア人として初の快挙です。
ミスユニバースに選ばれた後、児島明子さんは1年間ニューヨークのトランプタワーを拠点に生活し、慈善奉仕活動や公式行事のプロモーション活動を行いました。
ミス・ユニバースって、昔はもっと輝いてたよな。
輝かしい結婚と別れ
続いて、児島明子さんの結婚生活についてお話します。
✅ 宝田明は1966年4月29日に、ミス・ユニバース1959の児島明子と結婚しました。
✅ 2人は1954年に知り合い、1956年から交際を始めました。
✅ 交際は当初、宝田のスター性と児島のミス・ユニバースとしての地位からスキャンダルを避けるため、公に出来ませんでした。しかし、宝田の強い意志と児島との愛情によって、結婚に至りました。
さらに読む ⇒日刊ゲンダイDIGITAL出典/画像元: https://www.nikkan-gendai.com/articles/view/geinox/151068長いお付き合いだったんですね。
1966年、児島明子さんは俳優の宝田明さんと結婚しました。
2人の間には3人の子供が生まれましたが、1984年に離婚しました。
宝田明さんは1934年4月29日生まれの俳優・タレントで、1953年に東宝ニューフェイス第六期生として俳優デビューし、代表作に「ゴジラ」などがあります。
映画俳優だけでなく、ミュージカル俳優としても活躍し、1980年には日本初のミュージカル俳優養成学校「宝田芸術学園」を開校しました。
また、ミス・ユニバース日本大会の司会を務めるなど幅広い活動を展開していました。
まさに、スター同士の華麗なる結婚ですね。
愛と別れ、そして再婚
次は、二人の別れについてお話します。
公開日:2020/05/07
✅ 宝田明さんと児島明子さんは1954年に知り合い、10年の交際を経て1966年に結婚しました。
✅ 結婚生活は順調に見えましたが、1975年に宝田さんの不倫疑惑が浮上し、1983年に児島さんが子どもを連れて家を出ました。
✅ 1984年に離婚が成立し、宝田さんは同年9月に秘書女性と再婚しました。
さらに読む ⇒GOSSIP-HISTORY出典/画像元: https://gossip-history.com/g00760/複雑な状況だったようですね。
宝田明さんと児島明子さんは、1954年頃に知り合い、1956年頃に交際を始めました。
しかし、スキャンダルを恐れて公の場では会うことができず、結婚までには10年の歳月がかかりました。
結婚生活は順調に見えましたが、1975年に宝田さんの不倫疑惑が浮上し、1983年に児島さんが子どもを連れて家を出ました。
1984年に離婚が成立し、同年9月に宝田さんは不倫相手の女性と再婚しました。
宝田明さんは2022年3月18日に亡くなりました。
享年87歳でした。
宝田明さんの現在の奥様は、元宝田芸術学園の秘書で、16歳年下の女性です。
宝田明さんは、元ミス・ユニバースの児島明子さんとの最初の結婚の後、再婚されています。
えー、離婚しちゃったんだ。
娘・児島未散さんの音楽の道
最後に、児島明子さんの娘さんについてお話します。
✅ 元歌手で俳優の宝田明さんの娘である児島未散さんが、2022年4月21日にオンラインライブ「゛音温゛ (オトオン) ~みっちーのMusic Room 1~」を開催します。
✅ 1990年に60万枚のヒットを記録した「ジプシー」など、自身の楽曲やカバー曲を披露する予定です。
✅ 児島さんは、2016年に音楽活動を本格的に再開し、昨年には再活動後第一弾のデジタルアルバム「Sing for you ...」をリリースするなど、現在も活動を続けています。
さらに読む ⇒PR TIMES|プレスリリース・ニュースリリースNo.1配信サービス出典/画像元: https://prtimes.jp/main/html/rd/p/000000924.000022498.html親子で音楽の道を歩むのは素敵ですね。
宝田明さんと児島明子さんの間に生まれた娘、児島未散さんは1985年に歌手デビューしました。
1990年には「ジプシー」が大ヒットし、人気歌手となりました。
1999年から芸能活動を休止し、渡米して音楽の世界に携わろうとしましたが、帰国後は音楽業界の状況が変わっていたため、仕事を見つけることができませんでした。
その後、子育てなどに専念していましたが、2016年に歌手活動を再開しました。
最近は、なかなかヒット曲って出ないもんなぁ。
別れの時
宝田明さんの訃報についてお伝えします。
公開日:2022/03/18
✅ 俳優の宝田明さんが肺炎のため、3月14日に87歳で亡くなりました。
✅ 遺族の意向により、近親者のみにて葬儀が行われました。
✅ 宝田さんは映画「ゴジラ」で初主演を務め、昭和を代表する俳優として活躍しました。遺作となる映画「世の中にたえて桜のなかりせば」は4月1日に公開予定です。
さらに読む ⇒TOKYO HEADLINE|東京発のニュースペーパーなら東京ヘッドライン出典/画像元: https://www.tokyoheadline.com/610445/ご冥福をお祈りいたします。
宝田明さんは近年、腰痛に悩まされ、入退院を繰り返していました。
3月10日の舞台あいさつには車いす姿で出席していました。
3月13日に容体が急変し、同日深夜から14日の未明ごろに亡くなりました。
詳しい死因は不明ですが、過去には狭心症を患っており、1997年に冠動脈バイパス手術を受けています。
宝田明さんは、1954年に東宝映画「ゴジラ」で主演を務め、昭和30年代には東宝の二枚目トップスターとして活躍しました。
2022年3月14日午前0時31分、肺炎のため87歳で亡くなりました。
宝田さんは1週間前まで元気だったものの、11日に体調不良を訴え、12日朝に入院。
13日夜に容体が急変し、14日未明に妻の将未さんに看取られました。
遺作となった「世の中にたえて桜のなかりせば」は、幼少期を過ごした旧満州になかった「桜」をテーマに終活を描いた作品で、宝田さんはエグゼクティブプロデューサーも務めました。
昭和の時代を代表する俳優の逝去は、時代の転換点を感じさせますね。
本日は、児島明子さんの波乱万丈な人生についてお話しました。
💡 ミス・ユニバースに輝いた初の日本人女性
💡 俳優の宝田明さんと結婚、その後離婚
💡 娘の児島未散さんも音楽活動を続けている