坪内知佳さんってどんな人?漁師と船団丸、そして夢を追いかける物語とは!?
化学物質過敏症を乗り越え、漁業の世界で革新を起こす!シングルマザーから起業家へ転身した坪内知佳。萩大島船団丸を設立し、6次産業化を推進。日本船団丸を展開し、パールブランも手掛ける。彼女の波乱万丈な人生と、その成功の秘訣に迫る。
💡 化学物質過敏症を克服し、漁師の未来を支援する活動家
💡 漁業の六次産業化を推進し、市場を通さず直接消費者へ新鮮な魚を届けるビジネスモデルを確立
💡 夢を追いかけ、数々の困難を乗り越え、社会的に大きな影響力を持つ人物
それでは、第一章、坪内知佳さんの歩みについて詳しく見ていきましょう。
夢と挫折、そして新たな挑戦
坪内知佳、化学物質過敏症から漁業経営へ!その転換とは?
コンサル→漁業へ。信頼築き船団丸設立!
坪内知佳さんの夢を追いかける姿は、感動的ですね。
公開日:2017/11/03

✅ 坪内知佳さんは、24歳の時に萩大島船団丸の代表に就任し、漁師の未来を支援するため、漁獲量の減少や高齢化などの課題解決に取り組んでいます。
✅ 彼女は、化学物質過敏症の経験から、安全で新鮮な萩の魚介類の価値に気づき、次世代へ継承したいという強い思いを持ち、漁業の6次産業化を推進しています。
✅ 漁師の未来を守るため、漁師たちの生活と仕事の改善、魚介類のブランド化、顧客への直接販売などを積極的に行い、萩大島の漁業の活性化を目指しています。
さらに読む ⇒うぐいす新聞出典/画像元: https://uguisushinbun.com/2017/10/20/chika1/夢を諦めずに、新たな道を見つける姿は、本当に素晴らしいと思います。
坪内知佳さんは、1986年生まれの福井県出身のコンサルタント、起業家です。
幼少期からキャビンアテンダントになる夢を持ち、英語を勉強し留学も経験していました。
しかし、大学在学中に化学物質過敏症を発症し、夢を諦めざるを得なくなりました。
大学在学中に結婚し、20歳で大学を中退し、山口県萩市に移住しました。
21歳で出産、24歳で離婚を経験し、シングルマザーとして息子を引き取り、萩市で生活するようになりました。
離婚後、翻訳とコンサルティング業務を行う事務所を設立し、漁業の世界に飛び込みました。
2011年3月に約60人の漁業者をまとめる萩大島船団丸を設立、代表に就任しました。
当初は漁師との関係構築に苦労しましたが、真剣な仕事ぶりが評価され、漁師たちとの信頼関係を築きました。
いやぁ、でもな、人生ってそんなもんやで。夢が叶わなくても、別の道で成功できるんやから、諦めたらあかんねん。
漁業への挑戦と事業の拡大
船団丸の展開、Euripides!この企業は何者?
水産業の6次産業化を牽引する企業!
漁師の方々との連携は、容易ではなかったと思います。

✅ 坪内知佳さんは、漁業の苦境に立たされる萩大島で、漁師たちと「萩大島船団丸」を結成し、漁師自ら魚を加工・販売する六次産業化を実現しました。
✅ 坪内さんは、漁師たちと協力して、市場を通さず直接消費者へ新鮮な魚を届けるビジネスモデル「粋粋BOX」を開発し、農林水産省から六次産業化法の認定を受けました。
✅ 坪内さんは、自身の化学物質過敏症の経験から、安全で新鮮な魚を多くの人に届けたいという強い思いを持ち、漁業の未来を担うために奮闘しました。
さらに読む ⇒レオンオフィシャルサイト出典/画像元: https://www.leon.jp/peoples/145413漁師の方々と共に、新しいビジネスモデルを創り出したことは、素晴らしいですね。
2011年には、農林水産省に6次産業化の認定を申請し、同年7月に自家出荷を開始しました。
2014年4月には法人化を果たし、2015年からは日本船団丸として、萩大島船団丸、須崎野見船団丸、薩摩川内船団丸、千葉房総船団丸、北海岩内船団丸、壱岐玄海船団丸を展開しています。
2019年には、日本産の和球に特化したパールブラン「Euripides」を展開し、日経ビジネス2017年最も影響のある「次代を創る100人」などに選ばれるなど、社会的に大きな影響力を持つ人物となっています。
漁業の活性化だけでなく、消費者との繋がりを重視した六次産業化は、持続可能な社会の実現に貢献する素晴らしい取り組みです。
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元夫との離婚、再婚、漁業コンサル…坪内知佳の波乱万丈な人生。現在は萩市で活躍、謎多き再婚相手とは?