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朝ドラ『あんぱん』モデル 小松暢(こまつ のぶ)さんの生涯とは? 記者、やなせたかしとの出会いも?『あんぱん』ヒロイン・小松暢の波乱万丈の人生

戦後、高知新聞社初の女性記者として鮮烈なキャリアを切り開いた小松暢。夫を戦争で亡くし、自立を志して記者になった彼女は、男性社会の中で「怖いもの知らず」と称されるほど活躍。やがて漫画家・やなせたかしと出会い、彼の才能を支え、国民的キャラクター「アンパンマン」誕生にも影響を与えました。NHK朝ドラ『あんぱん』で描かれる、その波乱万丈な人生と、時代を切り開いた女性記者の情熱に迫ります。

朝ドラ『あんぱん』モデル 小松暢(こまつ のぶ)さんの生涯とは? 記者、やなせたかしとの出会いも?『あんぱん』ヒロイン・小松暢の波乱万丈の人生

📘 この記事で分かる事!

💡 小松暢さんは、戦前・戦後を生きた女性で、記者として、またやなせたかしさんの妻として活躍しました。

💡 彼女は、夫との死別を乗り越え、自活するために記者という道を選びました。そのバイタリティが魅力です。

💡 やなせたかし氏との出会いは、彼女の人生を大きく変え、数々の名作誕生に繋がりました。

本日は、朝ドラ『あんぱん』の主人公のモデルとなった小松暢さんについて掘り下げていきます。

彼女の生い立ちから、記者としての活躍、そしてやなせたかしさんとの出会いまで、その足跡をたどります。

生い立ちと夫との死別

戦争で夫を亡くした小松暢、その後の人生の転換点は?

「誰かの役に立ちたい」という思いから新たな道を模索。

小松暢さんの人生は、大阪で生まれ、土佐の気風の中で育ったことから始まります。

父親はエリート商社マン、少女時代は体育会系の美少女として知られていました。

彼女の最初の結婚生活は、どのようなものだったのでしょうか。

やなせたかしの妻・小松暢は体育会系の美少女だった ~のぶ(演・今田美桜)のモデル

公開日:2025/05/30

やなせたかしの妻・小松暢は体育会系の美少女だった ~のぶ(演・今田美桜)のモデル

✅ 朝ドラ「あんぱん」のモデルとなった小松暢さんの出自と最初の結婚について、父親がエリート商社マンだったこと、女学校時代には体育会系の美少女として活躍していたことが紹介されています。

✅ 暢さんは、父親同士の意気投合により小松総一郎さんと結婚。総一郎さんは日本郵船の機関士で、写真好きだったため、暢さんにライカのカメラを贈りました。

✅ 戦時中の結婚生活となり、総一郎さんは長い航海に出ることが多く、暢さんは留守を守る日々を送ることになります。

さらに読む ⇒草の実堂 - 色々なものを調べてみる雑学専門サイト出典/画像元: https://kusanomido.com/study/history/japan/shouwa/anpan/107845/

小松暢さんの生い立ちは、都会的な環境と地方の気風が組み合わさったユニークなもので、その後の彼女の自立心の強さに繋がったのかもしれませんね。

また写真好きのご主人との結婚生活も、ドラマチックです。

大阪で生まれた小松暢(のぶ)さんは、都会的な環境と土佐の気風の中で育ち、旧制阿倍野高等女学校で学び自立心を育みました

学業、音楽、運動と才能を発揮し、1939年には小松総一郎さんと結婚。

しかし、太平洋戦争で夫を亡くし、27歳で未亡人となりました。

悲しみを乗り越え「誰かの役に立ちたい」という思いから、新たな道を模索し始めます。

うーん、お父様が良い人だったんですね! 暢さん、最初のご結婚は、なんか、ちょっと寂しい感じもするけど、芯の強そうな方だから、きっと大丈夫だったんでしょうね!

高知新聞社入社まで

就職難の時代、暢さんはどうやって記者になったの?

速記技術と面接を活かし、高知新聞社に採用。

夫との死別後、暢さんは自活の道を選びます。

裁縫が苦手だった彼女は、速記の技術を習得し、高知新聞社の記者として新たな一歩を踏み出します。

当時の就職事情と、彼女が入社を勝ち取った背景を探ります。

編集局/報道部
編集局/報道部

✅ 高知県のローカルメディアで働く記者のインタビュー記事であり、入社動機や現在の仕事内容、大切にしていること、休日の過ごし方などが語られている。

✅ 仕事では、雑談を大切にし、そこから得られた情報をもとに記事を作成している。高知の紅茶に関する記事がその一例として紹介されている。

✅ 就職活動中の人に向けて、自身の経験を踏まえ、周囲の意見を聞きつつも、最終的には自分の直感を信じて決めることの大切さを伝えている。

さらに読む ⇒高知新聞社コーポレートサイト出典/画像元: https://corporate.kochinews.co.jp/interview/interview-01

就職難の時代に、女性記者の道を開いた暢さんの決意と行動力は素晴らしいですね。

高知新聞社が女性記者を採用した背景には、GHQとの関係性もあったとは驚きです。

自活を志した暢さんは、裁縫が苦手だったため、速記の技術を習得。

終戦後の1946年、高知新聞社が女性記者を募集していることを知り、応募を決意します

当時の日本は就職難であり、女性が職を得ることは困難でしたが、暢さんは筆記と面接を突破し、見事採用を勝ち取ります。

高知新聞社が女性記者を採用した背景には、GHQとの良好な関係を築き、民主化をアピールする狙いがありました。

31人の応募者の中から採用された2人のうちの一人に、暢さんが選ばれたのです。

ほほう、高知新聞社がGHQと仲良うて、民主化アピールかぁ。さすがやな!でも、暢さんの行動力と才能があったからこその採用やろな!ええ話や!

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戦後初の女性記者、小松暢。男勝りな取材と、やなせたかし氏との出会い。朝ドラ『あんぱん』で描かれる、彼女の情熱と生き様!