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大関・増位山太志郎さん、その多才な人生とは?~相撲と歌で人々を魅了した男の軌跡~歌手としても活躍した元大関・増位山太志郎さん、逝去

元大関・増位山太志郎さん、76歳で逝去。相撲界と歌謡界を股にかけ、数々のヒット曲で魅了。親子大関として相撲界を沸かせ、引退後は歌手としてミリオンセラーを記録。常に新しいことに挑戦し、晩年はサックスに熱中。多芸多才な人生は、相撲と歌を愛し、多くの人に愛された。その鮮烈な生き様は、多くの人々に感動を与え続けた。

大関・増位山太志郎さん、その多才な人生とは?~相撲と歌で人々を魅了した男の軌跡~歌手としても活躍した元大関・増位山太志郎さん、逝去

📘 この記事で分かる事!

💡 1980年に大関に昇進し、引退後は歌手として「そんな女のひとりごと」などヒット曲を連発。

💡 相撲と歌謡界の二刀流で活躍、美空ひばりさんら芸能界との交流も深かった。

💡 晩年はサックスに挑戦、常に新しいことに挑戦する姿勢で多くの人を魅了。

増位山さんの波乱万丈な人生を、相撲時代、歌手活動、私生活に触れながら紐解いていきましょう。

大相撲と歌謡界を駆け抜けた異才

増位山太志郎さん、最期の願いは?

活動復帰を強く願っていた。

大相撲から歌謡界へ、そして多岐にわたる活躍で多くの人に愛された増位山太志郎さん。

その波乱万丈な人生を振り返ります。

親子大関・増位山太志郎さんが76歳で死去 現役時代にミリオンヒットの歌手デビュー……2年以上闘病続け最期まで「活動復帰を望んでいました」(1/2)

公開日:2025/06/17

親子大関・増位山太志郎さんが76歳で死去 現役時代にミリオンヒットの歌手デビュー……2年以上闘病続け最期まで「活動復帰を望んでいました」(1/2)

✅ 元大関で歌手の増位山太志郎さんが、肝不全のため76歳で死去しました。

✅ 2022年12月に敗血症と診断されてから、闘病生活を送っており、最期まで活動再開を望んでいました。

✅ 現役力士時代に歌手デビューし、「そんな女のひとりごと」などのヒット曲を出し、引退後は歌手活動に本格的に取り組んでいました。

さらに読む ⇒˂Ƃ出典/画像元: https://nlab.itmedia.co.jp/cont/articles/3434076/

増位山さんのご冥福を心よりお祈り申し上げます。

力士でありながら歌手としても大成功を収められた、本当にすごい方ですよね。

大相撲の元大関で歌手としても活躍した増位山太志郎さんが、2024年6月15日に肝不全のため76歳で逝去しました。

1967年に初土俵を踏み、1980年に大関に昇進。

史上初の親子大関として相撲界を沸かせました。

1981年に引退後、10代目三保ケ関を継承し、後進の指導に当たりました。

一方、歌手としても1972年にデビューし、『そんな女のひとりごと』や『そんな夕子にほれました』などのヒット曲を世に送り出し、ミリオンセラーも記録しました。

2022年12月には敗血症と診断され療養していましたが、活動復帰を強く願っていました。

増位山さんは、常に新しいことに挑戦し続けた多芸多趣味な人物で、晩年はサックスに熱中し、手先を動かすことの重要性を説いていました。

彼の人生は、相撲と歌を愛し、多くの人に愛されたものでした。

すごい人だったんだね! 歌も聞いたことあるよ! そういう人が亡くなっちゃうのは、なんか寂しい気持ちになるね…。

父・三保ケ関親方と巡り合わせ

増位山を大関に導いた、引退したあの先輩とは?

旭國さん。的確なアドバイスが決め手。

増位山さんの相撲人生を語る上で欠かせないのが、父である三保ケ関親方の存在です。

親子二代にわたる相撲人生とは。

8→親子2代の大関 スポーツ記者も芸能記者も集まってすごい数に…
8→親子2代の大関 スポーツ記者も芸能記者も集まってすごい数に…

✅ 筆者は同期の北の湖が横綱になった6年後の1980年3月場所で大関に昇進した。

✅ 大関昇進のきっかけは、前年に旭國の引退があり、先代増位山から「大関が一つあいたぞ」と言われたこと。

✅ 大関昇進が決まった際、マスコミが殺到し、部屋の力士が騎馬戦の格好で祝福する中、北天佑(元大関)が先頭にいた。

さらに読む ⇒日刊ゲンダイDIGITAL出典/画像元: https://www.nikkan-gendai.com/articles/view/geino/295572

増位山さんのお父様の影響力、それは計り知れませんな。

相撲だけでなく多芸を重んじる教育方針というのがまた素晴らしい。

増位山さんの相撲人生は、父である三保ケ関親方(先代)の影響を大きく受けています

親方は多芸を重んじる教育方針で、増位山は相撲の稽古に加えて、油絵や歌など多岐にわたる才能を開花させました。

大関昇進後には、父から「引き際」の重要性を教えられ、ある相撲での敗北をきっかけに引退を決意しました。

また、大関昇進のきっかけは、引退した先輩大関・旭國さんからの言葉でした。

増位山さんは旭國との出会いを「神様の巡り合わせ」と語り、その的確なアドバイスが自身のキャリアを決定づけたと述べています。

増位山家は相撲一家であり、増位山は一族の4代目として相撲界に入りました。

姫路競馬場から見える丘陵にある「増位山」を四股名にしたのは、父が増位山を名乗っていたことに由来しています。

ほー、お父さんの影響で相撲だけやなく、色んな才能開花って、ええ話やないか!まさに、神様の巡り合わせや!

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大関・増位山、歌と相撲で魅せた!「そんな夕子にほれました」で大ヒット。多才な人生と、常に挑戦する姿は多くの人々に感動を与えた。