音楽評論家・湯川れい子さんの音楽と人生!波乱万丈の半生と、音楽への愛とは?エルヴィスとの出会いから音楽評論家としての活躍、そして息子の絆
伝説の音楽評論家、湯川れい子さんの80年を凝縮! ハリー・ジェームスの『Sleepy Lagoon』との出会いから、ビートルズ、プレスリーを日本に広めた軌跡、そして波乱万丈の人生を紐解きます。音楽、結婚、そして息子との絆… 音楽を通して生きる喜びと、時代を超えて愛されるその魅力を、豪華な内容でお届けします。
💡 ジャズと出会い音楽評論家としてデビュー、ビートルズやプレスリーを日本に広めた。
💡 結婚と離婚を経験し、エルヴィス・プレスリーとの結婚秘話、息子との絆を深めた。
💡 作詞家としても活躍し、数々のヒット曲を生み出した。音楽を通して人々に感動を届けている。
それでは、湯川れい子さんの音楽と人生を紐解く旅へ、出発進行!。
音楽と運命の出会い、そして評論家への道
湯川れい子さんのジャズへの目覚めは?
兄の口笛がきっかけ
湯川れい子さんの人生は、音楽との運命的な出会いから始まり、困難を乗り越えて評論家としての道を歩みました。

✅ 湯川れい子さんは、元夫との壮絶な離婚経験を乗り越え、長い年月を経て゛無二の親友゛という関係を築き上げた。
✅ 元夫は多額の借金を抱え、愛人がいたことが発覚し、離婚に至ったが、その後、病気や苦労を経て、人間的に成長し、湯川さんと親友の関係になった。
✅ 湯川さんは、元夫との関係を通して、人生の苦難や裏切り、そして許しについて深く考えさせられ、時間はかかるが、人との関係は修復できることを示している。
さらに読む ⇒週刊女性出典/画像元: https://www.jprime.jp/articles/-/24224?display=b元夫との関係修復の話は、人間関係の奥深さを感じますね。
時間はかかっても、信頼を取り戻せることもあるんだな、と。
湯川れい子さんは、戦死した長兄が口笛で吹いていたハリー・ジェームス・オーケストラの『SleepyLagoon』という曲をきっかけにジャズ音楽に目覚めました。
戦時中に自由に音楽を聴くことができず、多種多様な音楽を聴ける現代に感謝しているようです。
湯川れい子さんは、海軍大佐の父を持つ歴史的な家庭に生まれ、叔父は山本五十六、大叔父は海軍大将という環境で育ちました。
女優として活動後、音楽評論家として活躍し、ビートルズやプレスリーを日本に広める役割を果たしました。
2016年には音楽評論家生活55年、作詞家生活50年を記念して、コンピレーションCDとムック本が発売されました。
ジャズに目覚めたきっかけが、お兄さんの口笛だったって、なんか素敵。色んな音楽を聴けるって、ほんま、ありがたいよね。
波瀾万丈の結婚生活
湯川れい子さんの結婚生活は?
2度結婚、離婚
エルビス・プレスリーとの結婚秘話、すごい! 夢みたいやね。

✅ 湯川れい子さんは、1973年にラスベガスで結婚した際に、エルビス・プレスリーに結婚証明書にサインをしてもらいました。
✅ エルビスは多忙で、なかなかサインをしてもらえなかったため、湯川さんは、エルビスがハワイで行ったチャリティーコンサート「アロハ・フロム・ハワイ」のライナーノーツを担当することで、エルビスへの接近を図りました。
✅ 湯川さんは、エルビスにゴールドディスクを贈呈する機会を利用して、ラスベガスで結婚式を行い、エルビスに結婚証明書にサインとキスをしてもらいました。
さらに読む ⇒日刊ゲンダイ出典/画像元: https://www.nikkan-gendai.com/articles/view/geino/241750エルビス・プレスリーとの出会いや結婚の話は、まさにドラマチックですね!。
湯川れい子さんは、2度の結婚と離婚を経験しています。
最初の結婚は幼なじみの銀行員とのものでしたが、恋愛感情はなく、子供を作らないまま1966年に離婚しました。
2番目の夫は実業家の田村駿禮さんで、1973年に結婚しました。
田村駿禮さんは、ソニー専門商社の株式会社オーディオ&ビデオを設立した人物で、エルヴィス・プレスリーのハワイコンサートで湯川れい子さんと出会いました。
結婚式ではエルヴィス・プレスリーが結婚証明書の証人にサインしています。
しかし、田村駿禮さんの隠し子発覚や多額の借金を抱えたことなどから、1998年に離婚しました。
離婚後、田村駿禮さんは再婚し、湯川れい子さんは独身生活を続けていましたが、田村駿禮さんが病気で倒れたことがきっかけで、再び親友のような関係になりました。
エルビスに結婚証明書のサインもろうた話とか、もう、まるで映画の世界やんけ! 羨ましい!
次のページを読む ⇒
音楽評論家・湯川れい子の80年を記念した書籍!名曲秘話から豪華対談まで、音楽と人生を彩る魅力が満載。音楽ファン必見の一冊。