石田えり、女優人生と最新作『私の見た世界』とは?石田えりの女優としての軌跡と、監督・主演作『私の見た世界』
女優、石田えり。1979年のヌードグラビアで鮮烈デビュー後、映画「遠雷」で主演女優賞を獲得。演技派として数々の作品に出演し、多才な才能を発揮。2025年には監督作も54本に。児童養護施設出身という過去を乗り越え、常に新しい挑戦を続ける石田えりの最新作『私の見た世界』が7月公開。逃亡犯の壮絶な人生を描き、観る者の心を揺さぶる。彼女の生き様そのものが、観る人に力を与える。
💡 1981年に映画「遠雷」で主演女優賞と新人女優賞を受賞し、演技派女優としての地位を確立。
💡 1985年にミュージシャンの芳野藤丸と結婚するも、5年後に離婚。離婚原因は明らかにされていない。
💡 最新作『私の見た世界』では、監督・脚本・編集・主演を務め、松山ホステス殺人事件の犯人を演じる。
石田えりの生い立ちから、これまでの活躍、そして最新作について詳しく見ていきましょう。
芸能界デビューから結婚・離婚まで
石田えりはいつ生まれ、どこ出身?
1960年生まれ、熊本県出身
石田えりの結婚と離婚について掘り下げていきます。

✅ 石田えりは、芳野藤丸との離婚会見で、喧嘩の激しさや夫婦関係の修復を試みたことなどを率直に語り、決して綺麗ごとを言わなかった。
✅ 彼女は離婚の原因として、当時のマスコミが報じた収入格差や夫の酒乱、女グセ説を否定し、互いに譲れない性格の不一致によるものだと説明した。
✅ 石田えりは、結婚生活そのものに懲りていないこと、理想の形で愛し合える人ならば、また結婚したいと明言し、結婚への意欲を示した。
さらに読む ⇒アサ芸プラス出典/画像元: https://www.asagei.com/excerpt/220793離婚の理由を客観的に分析し、石田えりさんの結婚観や前向きな姿勢に感銘を受けました。
石田えりは、1960年生まれの女優。
熊本県出身で、中学3年で上京、高校で芸能デビューを果たし、1976年から1978年まで東京音楽学院でダンス、台詞、演技のレッスンを受けました。
1979年には雑誌「GARO」でヌードグラビアに挑戦し、セクシーなイメージで注目を集めました。
1981年には映画「遠雷」で主演を務め、主演女優賞と新人女優賞を受賞。
その後も数多くの作品に出演し、演技派女優として活躍しています。
1985年にはミュージシャンの芳野藤丸と結婚しましたが、5年後の1990年に離婚しました。
離婚理由は明らかになっていませんが、旦那の浮気が噂されています。
石田えりには子供はいません。
うーん、離婚の原因って、いろいろあるんですね…でも、また結婚したいって思えるの、すごい。
女優・映画監督としての活躍
石田えりは、映画に何本携わっている?
54本
映画監督としての石田えりさんの活躍に注目します。

✅ 井上真央と石田えりが、すれ違う娘と母の複雑な関係を演じる映画「わたしのお母さん」の予告編と本ビジュアルが公開されました。
✅ 本作は、娘の結婚を機に、母との確執が表面化する家族の物語を描いています。
✅ 井上真央が結婚を控えた娘役、石田えりが母親役を演じ、世代間ギャップや親子の複雑な感情をリアルに表現しています。
さらに読む ⇒ ムービーウォーカープレス 映画出典/画像元: https://moviewalker.jp/person/82787/井上真央さんと石田えりさんの共演作、ぜひ観てみたいです!親子の複雑な関係って、いろいろ考えさせられますよね。
石田えりは、映画監督としても活動しており、2025年3月時点で54本の映画作品に出演・監督しています。
彼女の出演・監督作品には、「私の見た世界」や「日めくりの味」「わたしのお母さん」「G.I.ジョー:漆黒のスネークアイズ」「来る」「まなざし」「うつくしいひと」「流れ星が消えないうちに」「シネマの天使」などがあります。
これらの映画は、恋愛、家族、社会問題など、様々なテーマを扱っており、観客に感動を与えるだけでなく、考えさせられる作品が多いです。
石田えりさん、映画監督としても才能あるんやな!色んなテーマの作品撮ってるみたいやし、奥深そうやな!
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