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『ブルー・ライト・ヨコハマ』はいかにして生まれたか?〜いしだあゆみ、筒美京平、横浜の夜景を紐解く〜いしだあゆみ「ブルー・ライト・ヨコハマ」誕生秘話とその時代

歌姫・いしだあゆみ、76歳で逝去。代表曲『ブルー・ライト・ヨコハマ』は、筒美京平作曲による都会的で哀愁漂う名曲として、今も愛され続ける。横浜の夜景を歌いながら、実は川崎の工場夜景がモチーフだったという意外な背景も。時代を彩った彼女の歌声と、筒美京平の功績を振り返る。

『ブルー・ライト・ヨコハマ』はいかにして生まれたか?〜いしだあゆみ、筒美京平、横浜の夜景を紐解く〜いしだあゆみ「ブルー・ライト・ヨコハマ」誕生秘話とその時代

📘 この記事で分かる事!

💡 いしだあゆみの代表曲『ブルー・ライト・ヨコハマ』の誕生秘話と、その背景にある時代について解説します。

💡 「ブルー・ライト・ヨコハマ」を作曲した筒美京平の音楽家としての足跡と、いしだあゆみとの出会いを振り返ります。

💡 歌詞に込められた想いや、横浜の夜景を彩るブルーライトの真実、そしてその時代背景を通して楽曲の魅力を再発見します。

さて、今回は日本の音楽史に残る名曲『ブルー・ライト・ヨコハマ』に焦点を当てて、その魅力と誕生秘話、そしてその背景にある時代について深掘りしていきます。

いしだあゆみの生涯

いしだあゆみさんの代表曲は?

ブルー・ライト・ヨコハマ

いしだあゆみさんの訃報、本当に残念です。

76歳という若さで、甲状腺機能低下症という病気で亡くなられたとのこと。

心よりご冥福をお祈り申し上げます。

いしだあゆみさん死去76歳甲状腺機能低下症で「ブルー・ライト・ヨコハマ」芸能デイリースポーツ
いしだあゆみさん死去76歳甲状腺機能低下症で「ブルー・ライト・ヨコハマ」芸能デイリースポーツ

✅ 女優のいしだあゆみさんが、甲状腺機能低下症のため、76歳で亡くなりました。

✅ いしださんは、幼少期はフィギュアスケート選手として活躍し、歌手や女優として活躍。代表曲には「ブルー・ライト・ヨコハマ」などがあり、ドラマ「日本沈没」や「男はつらいよ」シリーズなどに出演しました。

✅ 葬儀は近親者のみで行われ、お別れの会は故人の遺志により開催されないとのことです。

さらに読む ⇒デイリースポーツ出典/画像元: https://www.daily.co.jp/gossip/2025/03/17/0018762228.shtml

いしだあゆみさんのご逝去、心からお悔やみ申し上げます。

フィギュアスケート選手から女優、歌手と幅広い分野で活躍された彼女の功績は、日本の芸能史に大きく刻まれていますね。

歌手・俳優のいしだあゆみさんが、2025年3月11日に76歳で亡くなりました。

死因は甲状腺機能低下症でした。

いしださんは1964年に歌手デビューし、1968年に発表した『ブルー・ライト・ヨコハマ』が大ヒットし、一躍スターダムにのし上がりました

この曲は横浜の夜景や港を歌ったもので、いしださんの伸びやかな歌声と少し物悲しいメロディが多くの人の心を捉え、いしださんの代表曲となりました。

その後も女優として数々の作品に出演し、日本アカデミー賞最優秀主演女優賞を受賞するなど、日本の芸能界に大きな足跡を残しました。

近年はメディアへの露出は減っていましたが、2020年には文化庁長官表彰、2021年には旭日小綬章を受章されるなど、その功績が認められていました。

いしださんの訃報は、多くのファンに衝撃と悲しみを与えました。

ご冥福をお祈りいたします。

うーん…いしだあゆみさん、すごい人だったんですね。私、もっともっと色んな曲を聞いてみたくなりました。悲しいけど、この曲を聴いて、私ももっと頑張ろうって思いました!

筒美京平の音楽への道

筒美京平が作曲した「ブルー・ライト・ヨコハマ」はいつヒットした?

1969年2月

筒美京平さん、本当にすごい作曲家ですよね。

いしだあゆみさんの「ブルー・ライト・ヨコハマ」だけじゃなく、数々の名曲を生み出しています。

改めてその才能に感服します。

その時、音楽シーンが動いた】筒美京平、稀代のヒットメーカーの幕開け勝負をかけた「ブルー・ライト・ヨコハマ」
その時、音楽シーンが動いた】筒美京平、稀代のヒットメーカーの幕開け勝負をかけた「ブルー・ライト・ヨコハマ」

✅ 「ブルー・ライト・ヨコハマ」は、作曲家筒美京平が1969年2月10日に初めてチャート1位を獲得した楽曲であり、日本の歌謡曲と洋楽を融合した画期的な作品として評価されています。

✅ 筒美京平は、GSブームの影響を受けた洋楽的なセンスを持つ作曲家として、1967年にフリーの作曲家となり、橋本淳作詞、泉明良ディレクターという黄金トリオで、いしだあゆみに「ブルー・ライト・ヨコハマ」を提供しました。

✅ 「ブルー・ライト・ヨコハマ」は、高度経済成長期に地方から都会への人口流出が加速していた世相を反映しながら、都会的なムードと多幸感にあふれた詞に、哀愁漂うメロディーを乗せた楽曲で、当時としては斬新なサウンドと、いしだあゆみのボーカルの歌唱が相まって、歌謡曲史に残る名曲となりました。

さらに読む ⇒エンカウント―日本の「今」がここにある―出典/画像元: https://encount.press/archives/113717/

筒美京平さんの音楽人生を紐解くと、日本の音楽シーンがいかにして進化してきたのかが見えてきますね。

「ブルー・ライト・ヨコハマ」が生まれた背景には、様々な要素が絡み合っていたことがわかります。

「その時、音楽シーンが動いた」第1回は、筒美京平が歌謡界の頂点に立った瞬間、1969年2月10日にいしだあゆみがリリースした「ブルー・ライト・ヨコハマ」がオリコン1位を獲得した出来事を取り上げます。

筒美京平は、昭和40年に生まれ、幼少期から海外音楽に親しみ、クラシックピアニストを志しましたが、青山学院大学在学中にジャズに傾倒。

卒業後は日本グラモフォンに入社し、洋楽ディレクターとしてヒットの感性を養い、作曲家・すぎやまこういちに師事し、作曲と編曲を学びました。

1966年のビートルズ来日をきっかけに、日本国内ではGS(グループサウンズ)がブームとなり、洋楽的なセンスを持つ新しい作家が活躍し始めました

筒美もその一人として1967年にグラモフォンを退社し、職業作家として活動を開始。

GSバンドのヴィレッジ・シンガーズに提供した「バラ色の雲」で出世を果たしました。

へー、筒美京平さんってクラシックからジャズ、洋楽を経て歌謡曲の世界へ来たんや。そら、ええもん作れるわ!「ブルー・ライト・ヨコハマ」は、まさに京平さんの集大成やな。

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いしだあゆみの名曲「ブルー・ライト・ヨコハマ」。都会的なメロディーとGS風サウンドが融合し、オリコン1位を獲得!昭和の横浜を歌い、日本の音楽史を彩った名曲の秘密に迫る。