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森英恵(デザイナー) の軌跡:蝶の舞い、ファッション界を翔ける?日本のファッション界を牽引した森英恵の生涯と功績

島根県出身の森英恵。洋裁技術を磨き、パリコレで活躍。東洋と西洋を融合した美で世界を魅了し、ファッション界のパイオニアに。蝶のモチーフ「マダム・バタフライ」は永遠のアイコン。晩年はブランド倒産も経験するも、その精神は今も受け継がれ、カイリー・ジェンナーも魅了する。

森英恵(デザイナー) の軌跡:蝶の舞い、ファッション界を翔ける?日本のファッション界を牽引した森英恵の生涯と功績

📘 この記事で分かる事!

💡 森英恵は、蝶をモチーフとした優美なデザインで世界を魅了し、日本を代表するファッションデザイナー。

💡 東洋人初のパリ・オートクチュール組合正会員となり、日本の伝統と西洋の美を融合したスタイルを確立。

💡 JAL制服や五輪ユニフォームのデザインなど多岐に渡る活動で、女性の社会進出にも貢献。

それでは、彼女の華麗なる軌跡を、生い立ちから晩年まで、詳しく見ていきましょう。

生い立ちとキャリアの始まり

森英恵、ファッションデザイナー人生の転機は?

ココ・シャネルとの出会い。パリ訪問。

モード界の先駆者、森英恵の生い立ちからキャリア初期までを紐解きます。

東洋人初のパリ・オートクチュールデザイナー、森英恵とは
東洋人初のパリ・オートクチュールデザイナー、森英恵とは

✅ 森英恵は、蝶をモチーフとしたエレガントなデザインで知られ、日本のファッション界におけるパイオニアとして活躍。1977年には東洋人初のパリ・オートクチュール組合の正会員となり、世界的に高い評価を得た。

✅ 映画衣装も数多く手掛け、1950年代から約10年間で数百本もの作品を担当。晩年の小津安二郎作品でも衣装を手がけるなど、映画界にも貢献した。

✅ 海外進出のきっかけは1961年のパリ旅行で、1965年にはニューヨークで初のコレクションを発表。以後、日本航空の制服デザインやモナコでのショー開催など、活躍の場を広げた。

さらに読む ⇒アパレル業界の求人・転職なら出典/画像元: https://fashion-hr.com/hr-talks/working_in_fashion/27042/

森英恵さんのキャリアの始まりは、映画衣装を手掛けたことだったんですね。

様々な映画を彩った衣装は、彼女の才能を世に知らしめるきっかけになったことでしょう。

島根県で医師の娘として生まれた森英恵は、幼少期から「装う」ことに興味を持ち、裕福な環境で育ちました

ドレスメーカー女学院で洋裁技術を習得し、結婚後にアトリエ兼店舗「ひよしや」を新宿に開店。

おしゃれに関心の高い女性や外国人を中心に支持を集め、映画衣装を手掛けるなど、ファッションデザイナーとしてのキャリアをスタートさせました。

1950年代には数百本の映画衣装を担当し、1951年にはスタジオを設立、デザインの仕事を始めて70周年を迎えました。

森英恵は、日本のファッション界におけるパイオニアとして、女性のロールモデルとしても多大な影響を与えました。

1961年にはパリを訪れ、ココ・シャネルとの出会いから大きな影響を受け、デザイナーとしての道標を得ました。

マジですか!? 映画の衣装をそんなにたくさん作ってたなんて、すごい!しかも、シャネルさんに影響受けてるって、なんか憧れますね!

世界への飛躍とオートクチュールの世界

森英恵、パリ進出!何が彼女を「美の大使」にした?

蝶モチーフと和洋折衷スタイルです。

世界を舞台に活躍する森英恵の、華々しい飛躍の様子を追います。

森英恵――軽やかな羽でモード界を舞った、モダンウーマンの肖像

公開日:2022/10/14

森英恵――軽やかな羽でモード界を舞った、モダンウーマンの肖像

✅ 森英恵は、1954年にブティック兼サロンをオープンし、1965年にNY、1977年にパリコレクションに進出し、東洋人初のオートクチュールデザイナーとして活躍。日本の伝統的なモチーフを取り入れ、世界に東洋の美を発信した。

✅ 夫との二人三脚でビジネスを育み、グレース公妃やソフィア・ローレンなど世界の著名人からも支持された。また、1992年バルセロナ五輪の日本選手団のユニフォームや、皇太子妃雅子さまの結婚の儀での礼装のデザインも手がけた。

✅ 彼女は、日本のファッション界に多方面から貢献し、女性の可能性を広げた。そのデザインは、ロールモデルとして現代にも影響を与え続けている。

さらに読む ⇒出典/画像元: https://www.elle.com/jp/fashion/fashion-column/a41508060/hanae-mori22-10/

世界的な評価を得た森英恵さんの活躍は、まさに日本の誇りですね。

グレース公妃やソフィア・ローレンに愛されたというのも、すごい!。

国内での活躍を経て、森英恵はグローバルな舞台へ進出します。

1965年にはニューヨークで初のコレクションを発表し、国際的な評価を獲得。

1977年には、東洋人として初めてパリ・オートクチュール組合の正会員となり、パリのアベニュー・モンテーニュにメゾンをオープンしました。

グレース公妃やソフィア・ローレンなど世界のVIPを顧客に持ち、27年間毎シーズンパリでオートクチュールの新作を発表し、その作品は「美の大使」と称されました。

彼女の代名詞である「マダム・バタフライ」は、オペラ「蝶々夫人」にインスパイアされた蝶のモチーフであり、日本の伝統と西洋のファッションを融合させた独自のスタイルを確立しました。

オートクチュールって、ホンマもんのスゴイ人しかできへん世界やろ? グレース公妃とか、ソフィア・ローレンとか、そらもう、エエもんしか着ーひんやろからな。森英恵、ホンマもんやん!

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東洋と西洋を融合!森英恵は、JAL制服から舞台衣装まで手掛けたファッション界の巨星。革新的なデザインで女性の美を追求し、今もなお世界を魅了し続ける。