日枝久氏とフジテレビ帝国:黄金期と暗黒面、そして未来への課題?フジテレビの"天皇"と呼ばれた日枝久氏の功績と問題点
フジテレビを視聴率トップに導いた日枝久氏。若き日の改革から、鹿内氏との二人三脚、そして経営権掌握へ。権力集中と批判、そして'院政'と呼ばれる支配体制。その強大な影響力は、中居正広引退騒動を経て、退陣要求へと発展。今後のフジテレビの行方は?
💡 日枝久氏はフジテレビの社長、会長として長期にわたり権力を掌握し、数々のヒット番組を生み出した。
💡 一方で、創業家追放やコネ入社など、組織運営における問題点が指摘され、批判も集まっている。
💡 現在、フジテレビは、中居正広の騒動を巡り、経営陣の刷新や企業文化の改革が迫られている。
日枝久氏のフジテレビでの功績と問題点、そして今後の課題を、詳しく見ていきましょう。
若き日の挑戦と異例の抜擢
フジテレビを変えた、日枝久氏の異例の抜擢とは?
42歳でフジテレビ編成局長に就任。
42歳という若さで編成局長に抜擢された日枝氏。
その決断が、フジテレビにどんな影響を与えたのでしょうか。

✅ 日枝久氏はフジテレビに入社後、労働組合活動を通じて社内での基盤を築き、その後編成局長として『楽しくなければテレビじゃない』のスローガンを掲げ、視聴率3冠王を達成する黄金期を築いた。
✅ 42歳の若さで編成局長に抜擢され、おニャン子クラブやとんねるずを起用するなど、新しいタレントの発掘と育成に貢献した。
✅ 1988年にフジテレビの社長に就任後、会長、相談役と長きにわたりフジサンケイグループの最高権力者として君臨し、グループ全体を統括するリーダーとしての役割を担った。
さらに読む ⇒ぴよまる通信出典/画像元: https://piyomaru1082.com/hiedahisasi-fujitv-biography/日枝氏の編成局長就任は、フジテレビの黄金期を築く上で、非常に重要な転換点だったと言えるでしょう。
1937年生まれの日枝久氏は、早稲田大学卒業後、新興企業であったフジテレビに入社。
報道部門での経験を経て、労働組合書記長として社員の待遇改善に尽力し、交渉力と組織運営能力を培いました。
25歳定年制撤廃活動を通じて、その手腕を発揮。
社内基盤を築き上げた日枝氏は、1980年、42歳の若さでフジテレビの編成局長に抜擢されるという異例の人事を経験します。
この抜擢は、フジテレビに大きな転換をもたらした、鹿内春雄副社長の就任と時を同じくして行われました。
うーん、42歳でそんな大抜擢ってすごいですよね!なんかちょっと、ドキドキする展開ですね!
視聴率三冠王と経営権掌握への道
日枝久氏がフジテレビにもたらした最大の功績は?
視聴率三冠王12年連続達成。
日枝氏は、視聴率三冠王を達成する一方で、経営権掌握という大きな決断も行いました。
その真相に迫ります。
公開日:2025/01/25

✅ フジテレビ名誉会長の日枝久氏の功績と、コネ入社、創業家追放、長期的な権力掌握という「3大タブー」の問題点を詳細に解説。
✅ 日枝氏はフジテレビの社長、会長として黄金期を築き、「笑っていいとも!」や「東京ラブストーリー」などのヒット番組を生み出す一方、コネ入社やクーデターによる創業家追放といった問題を引き起こした。
✅ これらのタブーは、公平性の欠如、社員のモチベーション低下、社内対立など、フジテレビの組織文化と経営方針に影響を与え、視聴者離れの一因ともなっている。
さらに読む ⇒ゆるサクッ出典/画像元: https://botan8753.com/hieda-hisashi-fuji-tv/黄金期を築きながらも、経営権掌握のために様々な決断をした日枝氏。
その功罪をどう評価するべきか、考えさせられます。
編成局長に就任した日枝氏は、「楽しくなければテレビじゃない」というスローガンを掲げ、『THE MANZAI』『オレたちひょうきん族』などの人気番組を制作し、視聴率を飛躍的に向上させました。
鹿内春雄氏との二人三脚でフジテレビを業界トップに躍進させ、視聴率三冠王を12年連続で達成するなどの輝かしい実績を残します。
しかし、鹿内春雄氏の急逝後、鹿内宏明体制に移行。
その後、1992年の経営権争いにおいて、創業家である鹿内一族を追放し、経営の実権を掌握。
1988年に代表取締役社長に就任し経営陣入りを果たし、2001年には代表取締役会長に就任し、フジテレビの権利経営を実質的に掌握し、事実上のトップとして影響力を行使し続けました。
いやー、ホンマにすごい人やなぁ。でも、ちょっと怖い面もあるんやろなぁ… 創業家追放とか、ちょっと闇を感じるわ。
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