松島トモ子さんはどんな人生を送ってきたの?冒険家から介護者、そして映画女優へ
冒険家・松島トモ子が語る!ライオン&ヒョウ襲撃、母介護、そしてサメとの死闘! 映画「松島トモ子サメ遊戯」で新たな挑戦!
💡 松島トモ子さんは、冒険家としてライオンやヒョウに襲われた経験を持つ。
💡 松島トモ子さんは、95歳の母親を6年間自宅で介護した経験を持つ。
💡 松島トモ子さんは、現在、映画「松島トモ子サメ遊戯」に出演している。
それでは、松島トモ子さんの壮絶な人生について、詳しく見ていきましょう。
ライオンとヒョウとの死闘
松島トモ子さんは、ケニアでどんな危険な目に遭ったの?
ライオンとヒョウに襲われた
松島トモ子さんは、動物好きでアメリカ留学経験を持つことから、ジョージ・アダムソンと意気投合したんですね。

✅ 1985年、日本テレビのドキュメンタリー番組「TIME21」は、ベストセラー作家ジョイ・アダムソンの夫であるジョージ・アダムソンに密着取材を行うことを計画しました。
✅ レポーターに選ばれた松島さんは、動物好きでアメリカ留学経験を持つことから、ジョージとの共通点を見出し、彼に心温まる手紙を送りました。
✅ ジョージは松島の誠意に心を打たれ、彼女を快く受け入れ、ライオンのいる場所まで車で連れて行ったことで、密着取材はスタートしました。
さらに読む ⇒現代ビジネス講談社出典/画像元: https://gendai.media/articles/-/79916?page=2松島トモ子さんの冒険家としての生き様、本当にすごいですね……。
松島トモ子さんは、冒険家として数々の危険な体験をしてきました。
1986年、46歳の時、テレビ番組「TIME21」のケニアでの撮影中に、ライオンとヒョウに立て続けに襲われました。
最初の襲撃はナイロビのコザ動物保護区で、子ライオンを守る母ライオンに襲われ、首や太腿に怪我を負いました。
2回目の襲撃は別の場所で、雌ヒョウの「コムンユ」に襲われ、首を噛みつかれ第四頚椎粉砕骨折の重傷を負いました。
松島さんは、ライオンに襲われた後も、わずか3日後に退院し、残りの撮影を敢行しました。
番組は「それでも私はライオンが好き」というタイトルに変更され、3月31日に放送されました。
松島さんは、これらの出来事について「気が付いたら大きな顔ががあって...」「後ろから首に噛みつかれて、骨が砕けるガリガリという音が聞こえて...」と振り返り、当時の恐怖を語っています。
これらの体験は、松島さんをナイロビで有名人にしましたが、命あってのものです。
帰国後も松島さんは首にスカーフを巻いており、その時の怪我の跡を物語っています。
えーっと、ライオンに襲われたってホントですか?すごく怖いですね……。
母の介護
松島さんは、認知症の母親を介護する中でどんな苦難を乗り越えましたか?
精神的な苦悩を乗り越えました。
松島トモ子さんは、母親の認知症の症状に戸惑い、パニック障害に陥ったんですね。

✅ 95歳までおしゃれで上品だった松島さんの母・志奈枝さんは、レビー小体型認知症を発症し、暴言や徘徊などの症状が出るようになった。
✅ 松島さんは当初、母の症状に戸惑い、パニック障害に陥るほどだったが、認知症専門医を受診し病名を特定することで気持ちが楽になった。
✅ 松島さんは、母の症状に振り回されながらも、認知症を病気として受け止め、在宅で介護を続けている。
さらに読む ⇒ポストセブン出典/画像元: https://www.news-postseven.com/archives/20190225_874261.html?DETAIL松島トモ子さんは、母親の介護をしながらも、前向きに人生を歩んでいらっしゃるんですね。
松島トモ子さんは、95歳で認知症になった母親を6年間自宅で介護した経験も語っています。
周りの反対を押し切って介護を続けた松島さんは、精神的に追い詰められることもあったと言いますが、現在は笑って話せるようになり、当時の苦悩を赤裸々に語っています。
松島さんの明るく前向きな姿と、人生の厳しさを乗り越える強さに、観客は感銘を受けたそうです。
お母様の介護、大変だったでしょうけど、松島さんのように強く優しい人がおられると、お母様も安心されたと思います。
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松島トモ子、サメと激突!壮絶人生経験が映画に!ライオン、ヒョウに続き、今度はサメと死闘!