谷保恵美アナウンサー引退!33年間の軌跡と、ファンへの想いとは?ロッテ場内アナウンサー谷保恵美、33年の集大成
33年間、ロッテを愛し続けた名物アナウンサー、谷保恵美。特徴的なアナウンスでファンを魅了し、数々の記録を樹立。熱意とプロ意識で球場を盛り上げ、2023年に惜しまれつつ引退。その功績と今後の活躍に期待が集まる。
💡 千葉ロッテマリーンズの場内アナウンサー、谷保恵美さんの33年間のアナウンス業引退に関するニュースです。
💡 野球との出会いからアナウンスの道へ、熱意と情熱でファンを魅了した谷保さんの軌跡を追います。
💡 引退後の谷保さんの新たな一歩、そして未来への期待について掘り下げていきます。
それでは、谷保恵美さんのアナウンス人生を振り返り、その魅力に迫っていきましょう。
まずは、彼女がアナウンサーになるまでの道のりから。
野球との出会い、そしてアナウンスへの道
ロッテの場内アナウンス、彼女の野球愛の原点は?
高校野球マネージャーと、監督の父の影響。
谷保恵美さんがアナウンサーになるまでの生い立ちや、野球との出会いについてご紹介します。
公開日:2023/10/23

✅ ロッテの場内アナウンス担当を33年間務めた谷保恵美さんが、今シーズン限りで引退することを発表。
✅ レギュラーシーズンだけで2100試合を担当し、ファンからの惜しまれつつも、本人が決めたタイミングでの引退であり悔いはないと語っている。
✅ 引退発表後には多くのファンからの反響があり、最終戦では感極まって涙する場面もあった。今後は、マリンスタジアムと共に歩んだ33年間を振り返っている。
さらに読む ⇒スポーツ文化・育成&総合ニュース・コラム出典/画像元: https://the-ans.jp/column/365142/野球部のマネージャーとしての経験や、父親の影響など、アナウンサーになるまでの背景が詳しく説明されていますね。
1966年、北海道帯広市で生まれた谷保恵美さんは、高校時代から野球部のマネージャーを務め、野球への情熱を育みました。
大学でも野球部に携わり、卒業後にロッテオリオンズ(現千葉ロッテマリーンズ)に入社しました。
当初は経理担当でしたが、1991年に場内アナウンスを担当することになり、その才能を開花させました。
彼女の父親は高校野球の監督であり、幼い頃から野球に親しんで育ちました。
すごい!お父様の野球に対する情熱を受け継いで、アナウンサーになったなんて、すごく素敵だね!
熱意と情熱が生んだ、記憶に残るアナウンス
特徴的なアナウンスで人気の彼女、誰?
千葉マリンスタジアムのアナウンサー
谷保恵美さんが、記憶に残るアナウンスでファンを魅了した理由を解説していきます。

✅ ロッテの場内アナウンス担当、谷保恵美さんが今季限りで33年間務めたアナウンス業務を卒業することを発表しました。
✅ 卒業の理由は、昨年公式戦通算2000試合を達成しやり切った気持ちになったことと、以前から考えていた次の夢を実現するためであり、今季最終戦をもって2100試合となります。
✅ 最後のセレモニーは行わず、裏方として放送室から見守る形で静かに区切りをつけたいとしており、今シーズン最後までアナウンスを担当する意向です。
さらに読む ⇒【公式】パ・リーグ|パ・リーグ球団公式メディア|プロ野球出典/画像元: https://pacificleague.com/news/10024259特徴的なアナウンススタイルで、多くのファンを魅了した谷保さんの熱意が伝わってきます。
1991年、2軍戦でデビュー後、1994年からは一軍の本拠地、千葉マリンスタジアムでアナウンスを担当するようになりました。
彼女は、選手の名前を特徴的な語尾の伸ばし方で呼ぶスタイルで、多くのファンを魅了し、「サブローーーー!」や「ささきちはやーーーーーーー!」といったアナウンスが有名です。
2002年からは帯広市観光大使も務め、その活躍は多岐に渡りました。
また、2018年にはロッテ主催一軍公式戦1500試合連続アナウンス、2019年には一軍公式戦1800試合を達成するなど、記録を更新し続けました。
プロ意識も高く、40度の熱がある中でも実況を行うなど、その献身的な姿勢は多くの人々を感動させました。
いやあ、サブローとか佐々木千隼とか、選手の名前を力強く呼ぶとこ、めっちゃ耳に残るもんな! ほんまもんやで!
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33年のアナウンス業に幕。谷保恵美さんの引退。2000試合超えの功績と、新たな挑戦への期待。ファンへの感謝を胸に、静かにそのキャリアを終えました。