水木しげるの戦争体験は漫画にどう影響を与えた?水木しげるの戦争体験とは!!!
💡 水木しげるは、第二次世界大戦中にラバウルで兵役についた。
💡 水木しげるは、戦争体験を漫画作品に多く反映させている。
💡 水木しげるの娘や漫画家仲間が、水木しげるの戦争体験について語る。
それでは、水木しげるの戦争体験について詳しく見ていきましょう。
水木しげるの戦争体験とラバウル
水木しげるさんの戦争体験は、漫画作品に大きな影響を与えているんですね。
✅ 水木しげるさんの戦争漫画「総員玉砕せよ!」の構想ノートが見つかった。
✅ ノートには、作品の大まかなストーリー展開、コマ割り、登場人物のイラスト、エピソードなどが書き込まれており、戦争に対する水木さんの強い思いが感じられる。
✅ 特に、敵の銃撃で重傷を負った兵士の小指を遺骨として切り取る場面は、戦場を体験した人ならではの迫真性があり、漫画の特異性を際立たせている。
さらに読む ⇒東京新聞 TOKYO Web出典/画像元: https://www.tokyo-np.co.jp/article/134741戦争の恐ろしさと悲惨さが、水木しげるさんの言葉を通して伝わってきます。
水木しげるは、第二次世界大戦中にラバウルで兵役につき、爆撃で左手を失いました。
戦後、漫画家となり、自らの戦争体験を描いた作品を多数発表しました。
中でも有名なのが、自伝的戦記漫画『総員玉砕せよ!』です。
同作は、慰安婦の存在や戦場の残酷さをありのままに描き、戦争の悲惨さを訴えています。
水木しげるは、戦争体験を語り、「戦争は映画みたいに都合良くいかない」と述べており、現代社会における戦争への危機感を訴えています。
水木しげるは、太平洋戦争中にラバウルで部隊が全滅する中、1人生き残りました。
5日間、ふんどし姿で海を泳ぎ、ジャングルを駆け抜け、わずかな食料を頼りに日本軍の陣地にたどり着きました。
しかし、上官からは「なぜ死なずに逃げたのか」と冷たい言葉を浴びせられ、戦死を美化する当時の軍隊において、一人だけ生き残ることは「恥」とされていました。
その後、マラリアに感染し、爆撃で左腕を切断しました。
戦後、彼は戦争体験を漫画に昇華し、多くの人に語り継ぎました。
ラバウルは、水木しげるにとって忘れられない場所となりました。
えーっと、戦争って本当に怖いんだなぁ。
『総員玉砕せよ!』と慰安婦
水木しげるさんの戦争体験は、漫画作品にどのように反映されているのでしょうか?。
✅ 水木しげる先生の作品「総員玉砕せよ!」は、昭和20年のパプアニューギニア・ニューブリテン島での戦闘をリアルに描いた作品です。
✅ 作品では、玉砕を余儀なくされた現場の悲惨さ、戦争の無意味さが、水木先生自身の体験を通して描かれており、戦争を知らない世代にも戦争の現実が深く伝わります。
✅ 戦時中の乾いた日常描写が、頭で考える「戦争論」ではなく、リアルな戦地の状況を伝えており、読者に強い印象を与えます。
さらに読む ⇒「言葉こそ人生」読むだけ元気お届け人の゛今ここを生きる心゛の裏側出典/画像元: https://imakokowoikiru.hatenablog.com/entry/2021/08/15/060000慰安婦の存在や戦場の残酷さが、ありのままに描かれているんですね。
水木しげるは、自伝的戦記漫画『総員玉砕せよ!』で描いたような場面は決してフィクションではなく、慰安婦の存在や彼女たちが強いられた行為は非道としかいいようがないと主張しています。
水木しげるは別のコミックエッセイで、ココポでの慰安婦を詳細に描写しています。
同作品は朝鮮人慰安婦がトイレを使うシーンを描き、戦争の残酷さと非人道性を表現しています。
戦争って、ほんまにえげつないんやなぁ。
『水木しげる漫画大全集』の出版秘話
水木しげる漫画大全集の出版秘話、興味深いですね。
✅ 京極夏彦氏は、水木しげる漫画大全集の監修を引き受けるまでに、過去に様々な出版社から企画を持ちかけられてきたが、それらをすべて阻止してきた。その理由は、それらの企画が「全集」の名ばかりで、実際には水木作品全体のほんの一部しか収録されていなかったり、作品に対する理解が不足していると感じたためである。
✅ 京極氏は、講談社が水木作品の出版元であり、手塚治虫漫画全集の出版経験もあることから、講談社に「水木全集」の企画を持ちかけた。しかし、過去の企画から得た教訓を踏まえ、講談社に対して「水木全集」を制作する上での困難さと、それらを克服する覚悟を問いただした。
✅ 京極氏は、講談社の過去の「手塚治虫漫画全集」の制作体制や費用、そして潮出版の「鉄人28号(原作完全版)」における原稿のデジタル修正技術などを調査し、講談社が「水木全集」を制作する上で必要なリソースと技術を持っていることを確認した。また、講談社側に「水木全集」の制作に対する強い意志と覚悟を見出したことで、監修を引き受ける決意をした。
さらに読む ⇒メディア芸術カレントコンテンツ - マンガ・アニメ・ゲーム・メディアアートをもっと知るための情報サイト出典/画像元: https://mediag.bunka.go.jp/article/article-19269/京極夏彦さんの水木しげる作品に対する深い愛情を感じます。
2013年から2019年にかけて刊行された『水木しげる漫画大全集』は、水木しげるの膨大な作品を網羅することを目指した、103巻の単行本に加え、別巻、補巻、索引などを含むシリーズです。
同全集の監修を務めた小説家・京極夏彦氏は、水木しげる作品の全作品を網羅した「全集」がこれまで実現しなかった理由について、過去の企画について、水木しげる作品に対する深い知識と、関係者の意見を交えながら語っています。
企画が実現するまでの苦労や、京極氏の徹底的なリサーチ、水木しげるの作品への深い愛情を感じられる内容となっています。
講談社がこれまで『手塚治虫漫画全集』の出版経験を生かし、水木しげる作品を丁寧に扱おうとしていることも伺えます。
さらに、『鉄人28号(原作完全版)』の例を挙げ、過去の作品を可能な限り忠実に再現する重要性を訴え、水木しげる作品に対する深い敬意が感じられます。
京極先生は、水木作品を深く理解しておられるのですね。
「鬼太郎誕生 ゲゲゲの謎」の制作秘話
「鬼太郎誕生 ゲゲゲの謎」の制作秘話、ぜひ聞きたいです。
公開日:2024/01/23
✅ 「鬼太郎誕生 ゲゲゲの謎」の上映後トークショーでは、監督、脚本家、キャラクターデザイナーが登壇し、作品の裏側や制作秘話を語り合った。
✅ 特に、龍賀一族や怪死描写、キャラクターデザインについて、それぞれの担当者のこだわりや苦労が語られ、映画の魅力をより深く理解できる内容であった。
✅ また、監督による独特な演出やカット割り、エンディングでの鬼太郎誕生シーンのキャラクターデザインなど、映画の制作過程における興味深いエピソードが明かされた。
さらに読む ⇒アニメ!アニメ!出典/画像元: https://animeanime.jp/article/2024/01/23/82445.html映画の制作過程のこだわりが、トークショーで語られたんですね。
鬼太郎誕生 ゲゲゲの謎のトークイベントが開催され、監督、脚本家、キャラクターデザイナーが登壇し、制作秘話を語りました。
本作は、大人向けのホラーとして、人間関係のドロドロした怖さを描くとともに、水木しげる先生の生誕100周年を記念して昭和の歴史を振り返るテイストも盛り込まれています。
特に、龍賀一族のキャラクターデザインや、残酷な怪死描写、独特な演出やカット割り、エンディングの鬼太郎誕生場面など、制作過程におけるこだわりが語られました。
イベントでは、監督、脚本家、キャラクターデザイナーが、それぞれの視点から作品の魅力を語り、観客を魅了しました。
ゲゲゲの鬼太郎の長い歴史と、水木しげる先生の作品の普遍的な魅力が改めて感じられるイベントとなりました。
映画の作り手さんのこだわりってすごいなぁ。
漫画家の娘たちの苦悩と戦争体験
漫画家の娘さんたちの視点から、戦争体験について語っていただきました。
公開日:2024/10/10
✅ 水木しげる氏の娘・原口尚子さんと松本零士氏の娘・松本摩紀子さんが、自身の父について語るインタビュー記事。両氏は、それぞれ父親が戦争体験についてあまり語らなかったことを明かし、原口氏は父が戦争体験をポジティブにしか語らなかったため、子供の頃は戦争を楽しいものだと捉えていたと振り返る。
✅ 原口氏は、水木しげる氏が自身の戦争体験をあまり語らなかったことに加え、松本零士氏の戦場漫画について「本当の戦争を知らない」と発言したことを紹介する。また、松本氏は自身の戦争体験について触れ、『昆虫国漂流記』では、機銃掃射など戦争の怖さや戦後の貧困生活を描いていることを説明する。
✅ 両氏は、それぞれの父親が戦争体験について語ることは少なかったものの、作品を通して戦争の過酷さや戦後の苦難を描いていたことを強調している。また、原口氏は水木しげる氏が戦争体験をポジティブにしか語らなかったことで、戦争の現実を理解していなかったと反省する。一方、松本氏は松本零士氏が自身の戦争体験を『昆虫国漂流記』に描いていることを紹介し、戦争に負けるとどうなるかを身をもって知ったと語る。
さらに読む ⇒婦人公論.jp|芸能、事件、体験告白……知りたいニュースがここに!出典/画像元: https://fujinkoron.jp/articles/-/14157?display=full漫画家としての父と、娘さんたち自身の葛藤が伝わってきます。
水木プロダクション代表の水木しげるさんの娘である原口摩紀子さんと、零時社代表の松本零士さんの娘である松本摩紀子さんは、共に「漫画家の娘」として特別な目で見られることに苦悩し、父と切り離された自分として生きていきたいと願っていました。
原口摩紀子さんは、父が漫画家であることを意識せず、自分の道を歩もうと小学校の教員になりましたが、父が徐々に弱っていくにつれて、水木の娘としての自覚を深め、40歳で水木プロに入社しました。
一方、松本摩紀子さんは、大学卒業後に興行関係の会社に就職するも、父の漫画の仕事が忙しくなり、家の手伝いを始めることになりました。
両者は、漫画家の娘として、家族経営のプロダクションを支える苦労を共有しており、父とアシスタントたちとの関係についても共通点を見出す。
特に、水木しげるさんと松本零士さんの両方のアシスタントを務めていた経験や、アシスタントたちへの食事作りを通して、漫画家という仕事の裏側を垣間見たことを語っています。
水木しげるさんは、自身の戦争体験を家族にあまり語らなかったため、娘さんは戦争の過酷さを理解していなかったとのことです。
一方、松本零士さんは、戦時中に機銃掃射を目撃したり、戦後の貧困を経験したりするなど、戦争の恐ろしさを身をもって知りました。
漫画家さんの娘って大変そうやなぁ。
水木しげるさんの戦争体験は、私たちに多くのことを教えてくれますね。
💡 水木しげるは、ラバウルでの戦争体験を漫画作品に反映させている。
💡 水木しげるの娘や漫画家仲間は、水木しげるの戦争体験について語る。
💡 水木しげるの戦争体験は、漫画作品を通して後世に語り継がれている。