瀬戸内寂聴さんの逝去から見えてくるもの?秘書が語る、寂聴さんの素顔とは!?
💡 瀬戸内寂聴さんの秘書、瀬尾まなほさんの追悼文を紹介
💡 寂聴さんの晩年の様子や、秘書が感じた寂聴さんの思いを明らかに
💡 寂聴さんの作品や、寂庵の今後についても触れていきます
それでは、最初の章に移ります。
瀬戸内寂聴さんの逝去
寂聴さんの最後の言葉が、とても印象的ですね。
✅ この記事は、瀬戸内寂聴さんの秘書である瀬尾まなほさんによる追悼文です。
✅ 記事の内容は有料会員限定のため、具体的な内容は不明ですが、瀬戸内寂聴さんのことを偲ぶ文章であると考えられます。
✅ 記事のタイトル「先生、寂庵へ帰ろうね」は、瀬戸内寂聴さんと瀬尾まなほさんの関係性と、寂聴さんの故郷である寂庵への帰りを暗示していると思われます。
さらに読む ⇒徳島新聞デジタル|徳島県のニュース、イベント情報出典/画像元: https://www.topics.or.jp/articles/-/626180寂聴さんと瀬尾さんの関係性が、深い愛情を感じさせます。
2021年11月9日、作家で僧侶の瀬戸内寂聴さんが99歳で逝去されました。
寂聴さんの秘書を11年務めた瀬尾まなほさんは、寂聴さんと過ごした日々を振り返り、寂聴さんの最後の様子や、みとりを経て今感じていることなどを語っています。
9月末に風邪をこじらせて入院し、10月末に容体が急変、病院で亡くなりました。
瀬尾さんは、寂聴さんの葬儀のことなどをすべて手探りで進めることになったと語っています。
近親者だけで密葬を行い、その後、寂庵で偲しのぶ会、妙法院で本葬が執り行われました。
わぁ、寂聴さんってすごい人だったんだねー!
瀬尾まなほさんの言葉から見た寂聴さん
瀬尾さんは、寂聴さんの秘書として、どんなことを感じてきたのでしょうか。
✅ 瀬尾まなほさんは、瀬戸内寂聴さんの秘書として、寂聴さんの晩年の10年間を過ごした。
✅ 22歳の時に、寂聴さんの面接を受け、当初は出版関係の事務を担当していたが、ベテランスタッフの退職により、25歳の時に寂聴さんの秘書となった。
✅ 寂聴さんの秘書になることは、瀬尾さんにとって大きな挑戦であり、最初は不安とプレッシャーを感じていたが、父の言葉に励まされ、覚悟を決めて寂聴さんと共に過ごすことを決めた。
さらに読む ⇒ MIMOSA MAGAZINE(ミモザマガジン)出典/画像元: https://mimosa-mag.prudential.co.jp/_ct/17725851瀬尾さんの言葉から、寂聴さんの人柄が伝わってきます。
瀬尾さんは、寂聴さんが亡くなった後、自分の気持ちを書くのは辛いことだったとしながらも、寂聴ならどう言うだろうかと考え、「いまだからこそ書きなさい」と背中を押されたように感じたそうです。
彼女は、寂聴さんの言葉「チャンスの波はいつでも来るわけではない、波を逃さないことだ」を胸に、寂聴さんの死について率直な気持ちを書きました。
寂聴さんは、晩年には寂庵を保育園にしたいと語っていました。
それは、女性が仕事と子育てを両立できるようにしたいという思いからでした。
寂聴さんは、最後まで新聞や雑誌に連載を持ち続け、自らの人生に終止符を打つことはありませんでした。
瀬尾さんは、寂聴さんが最後まで自分に見切りをつけなかったことを語っています。
すごいなぁ、瀬尾さんって。
寂聴さんの晩年と執筆活動
寂聴さんの晩年の様子が、よく分かります。
✅ 瀬戸内寂聴さんは、最後のエッセイで生涯を振り返り、充実した人生だったと語りました。秘書の瀬尾まなほさんは、寂聴さんの最晩年の日々を支え、その素顔や思い出を語っています。
✅ 寂聴さんは、亡くなる前日まで現役で執筆活動を続け、最後まで自分に見切りをつけませんでした。瀬尾さんは、寂聴さんの晩年の姿や、寂庵を保育園にしたいという夢について語っています。
✅ 寂聴さんの秘書として10年以上、最も身近に接してきた瀬尾さんは、寂聴さんの人柄や生き様について、多くの貴重なエピソードを共有しています。また、寂庵の未来についても、寂聴さんの意志を継いで考え続けている様子が伺えます。
さらに読む ⇒ハルメク365|女性誌部数No.1「ハルメク」公式サイト出典/画像元: https://halmek.co.jp/life/c/tips/10949寂聴さんの最後のエッセイ、読んでみたいです。
寂聴さんは、晩年は体調が優れず、執筆活動も困難になっていましたが、それでも「やっぱり書きたい」という強い意志を持ち続けました。
99歳になっても、自分の可能性を信じていたのです。
寂聴さんの最後の長篇エッセー『その日まで』では、自身の生涯を振り返り、人生を十二分に生き切ったと綴っています。
寂聴さんの秘書を務めた瀬尾まなほさんは、10年以上、寂聴さんの最晩年の日々を支えてきました。
寂聴さんは、晩年には寂庵を保育園にしたいと語っていました。
それは、女性が仕事と子育てを両立できるようにしたいという思いからでした。
寂聴さん、最後まで頑張って生きてきたんだね!
『命日六つの愛の物語』にみる寂聴さんの晩年の姿
寂聴さんの最後の小説集、どんな内容なのでしょうか。
✅ 瀬戸内寂聴の最後の小説集「命日 六つの愛の物語」は、最晩年まで書き続けられた珠玉の短編6篇を収録しています。
✅ 収録されている作品には、夫の教え子との禁断の恋を描いた「見るな」、不思議な女性との出逢いが運命を変える男を描いた「ぜんとるまん」、一本の煙草が二人の運命を狂わせる「燐寸抄」などがあります。
✅ 本書は、愛に生き、愛を描いた瀬戸内寂聴の99年の生涯が結晶した作品集であり、晩年の寂聴の思想や生き様を感じることができる作品となっています。
さらに読む ⇒現代ビジネス | 講談社 @gendai_biz出典/画像元: https://gendai.media/list/books/gunzou/9784065358092寂聴さんの人生が詰まった作品集ですね。
寂聴さんの最後の短篇小説集『命日六つの愛の物語』は、愛に生き、愛を描いた作家の最晩年の作品集です。
本書は、寂聴さんの秘書である瀬尾まなほさんが、99年の生涯を通して見た寂聴さんの姿と、小説にかける強い思いを綴っています。
本書に収録された小説は、寂聴さんの実体験がベースになっており、戦争中、防空壕で亡くなった母と祖父、シベリアから帰還した姉の夫、昔の恋人、不倫相手など、寂聴さんの人生に深く関わった人々が登場します。
瀬尾さんは、寂聴さんが何度も同じような出来事を小説に書きながら、決して同じ物語にならないことに気づき、その深みや広がりを目の当たりにしたと語っています。
また、寂聴さんの作品には、日常の出来事が深く反映されており、晩年の体力衰えや、それでも書き続けようとする強い意志が伝わってきます。
寂聴さんの小説、読んでみたいなー!
寂庵への訪問と今後の活動
寂庵への訪問は、どんな体験だったのでしょうか。
公開日:2022/07/26
✅ 林真理子さんが瀬戸内寂聴さんの寂庵を訪ねた際、瀬戸内寂聴さんがコロナの影響で外出を控えており、静かな日々を送っていること、高齢になったため風呂や顔を洗うのも億劫になっていること、新聞連載を続けるのは大変だが書き始めると若かりし頃のように没頭してしまうことなどを語った。
✅ 瀬戸内寂聴さんは、新聞連載の反響について喜びを語り、編集長の褒め言葉に気を良くして調子に乗ってしまうことを明かした。
✅ 林真理子さんは、瀬戸内寂聴さんの近況を気遣い、入院や連載活動について話を聞いた。
さらに読む ⇒婦人公論.jp|芸能、事件、体験告白……知りたいニュースがここに!出典/画像元: https://fujinkoron.jp/articles/-/6293?display=full寂聴さんの近況が分かり、安心しました。
本書は、寂聴さんの人生と作品を深く理解するための貴重な資料となるだけでなく、最晩年の寂聴さんの姿をありのままに伝えています。
瀬尾さんの言葉を通して、寂聴さんの人間性と作家としての魅力を再認識することができます。
瀬戸内寂聴の命日である11月9日に、寂庵は12時~16時まで開門されます。
瀬戸内寂聴を偲びたい方は、この時間帯に寂庵を訪れてください。
駐車場はありませんので、公共交通機関をご利用ください。
また、寂庵への取材はご遠慮ください。
瀬戸内寂聴の葬儀は11月13日に近親者のみで行われました。
追悼の会は12月9日(木)13時~16時に曼陀羅山寂庵で行われます。
ご香典は辞退させていただきます。
供花は京都公益社のウェブサイトからお申し込みください。
寂庵では、新型コロナウイルスの感染拡大防止のため、3月の写経の会と法話の会は中止となりました。
寂庵だよりの発行も、庵主の体調不良のため、今月末で終了いたします。
寂庵だより購読者には、庵主の新刊と庵主からの手紙が送られます。
長年購読していただいた皆様には、突然のお知らせとなり大変申し訳ございません。
瀬戸内寂聴は、若草プロジェクトの代表呼びかけ人を務めています。
若草プロジェクトのシンポジウムが開催されます。
また、瀬戸内寂聴の著作やテレビ出演情報も掲載されています。
寂庵って、どんなところなんだろう?
寂聴さんの人生と作品を通じて、私たちに多くの学びを与えてくれました。
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