鎌倉幕府を揺るがした女!北条時政の継室・牧方とは?その生涯と人物像に迫る!!
💡 北条時政の継室・牧方は、鎌倉幕府の権力闘争に深く関わっていた。
💡 牧方は、時政の政治的な野心をあおる存在であった。
💡 牧方の生涯は、史実とドラマで異なる解釈がされている。
では、最初の章から詳しく見ていきましょう。
牧方:北条時政の継室
それでは、牧方について詳しくお話します。
公開日:2021/11/17
✅ 「牧の方」は、鎌倉幕府初代執権・北条時政の若き後妻で、政子や義時とは折り合いが悪かったとされています。彼女は、夫の頼朝の浮気を政子に暴露し、大騒動を引き起こしたことがありました。
✅ 1205年の「畠山重忠の乱」の後、時政と牧方は、3代将軍・実朝を廃して、娘婿の平賀朝雅を新将軍に擁立しようと企てました。しかし、政子と義時はこの企みを阻止し、時政と牧方は出家して伊豆に隠居させられました。
✅ 時政は87歳で亡くなりましたが、牧方はその後も生きており、京の都で贅沢三昧に過ごしたとされています。
さらに読む ⇒歴史スタイル出典/画像元: https://rekishi-style.com/archives/13794牧方の生涯は、まさに波乱万丈ですね。
北条時政の継室である牧の方(まきのかた)は、駿河国出身で、大岡牧と呼ばれる荘園を経営し、後白河法皇に寄進していたことから、京都の文化に精通していたと考えられています。
時政との出会いは不明ですが、時政が大番役で京都に滞在していた間に、縁が出来たとも考えられます。
牧の方は政子よりも年下で、山本みなみ氏の研究によると、牧の方の誕生年は永暦2年(1161年頃)と推測され、時政と結婚した時は19歳だったと考えられます。
牧方の祖父は藤原宗兼と考えられ、宗兼の娘には平忠盛に嫁いだ池禅尼がいます。
池禅尼は平治の乱で敗れて捕らえられた源頼朝の助命を義理の息子である清盛に熱心に働きかけたことで知られています。
頼朝は池禅尼の恩義に報いるため、池禅尼の子である平頼盛の罪を許して京都に帰し、後白河法皇より播磨国と備前国の知行を任せています。
牧方から見て池禅尼は伯母にあたるため、頼朝も牧方に対して何らかの厚遇をしていた可能性もあります。
ほんな、女房持ちながら、他の男とくっついとったんか?
亀の前事件:鎌倉幕府を揺るがす騒動
次は、鎌倉幕府を揺るがした「亀の前事件」について解説していきます。
公開日:2022/03/26
✅ この記事は、鎌倉殿の13人の第20話「鎌倉殿の13人」の内容について、ライターIと編集者Aの対話形式で解説している。
✅ 話題の中心は、義時の新たな領地と名乗り、八重の未来、政子の出産と産養の儀、そして鎌倉における京風儀式の導入など。
✅ 歴史的事実や人物の子孫、関連する場所や文化などを交えながら、物語の展開を考察し、今後の展開への期待感を高めている。
さらに読む ⇒サライ.jp|小学館の雑誌『サライ』公式サイト出典/画像元: https://serai.jp/hobby/1067017この事件は、北条家だけでなく、鎌倉幕府全体に大きな影響を与えたのでしょう。
寿永2年(1182年)11月、牧方は嫡男、万寿を出産したばかりの継娘政子に、頼朝が亀の前という愛人をつくっていると告げました。
激怒した政子は、牧方の兄か父と考えられる牧宗親に命じて、亀の前が匿われていた伏見広綱の屋敷を打ち壊すように命じました。
この仕打ちに激怒した頼朝が牧宗親を呼び出し、髻を切り落として辱める事件が発生し、北条時政は舅が頼朝に恥をかかされた事を怒り一族を引き連れて伊豆へ帰る大騒動に発展しています。
権力争いは、いつの時代も残酷なものですね。
ドラマの中の牧方:悪女として描かれる策略家
それでは、「鎌倉殿の13人」における牧方について見ていきましょう。
✅ 北条時政の妻、牧の方について、その生涯と人物像を解説しています。彼女は、駿河国の豪族牧氏の娘で、時政の政治手腕を支えた人物とされています。
✅ 牧の方は、野心家で、亀の前事件や畠山重忠の乱に深く関わっていたとされています。特に畠山重忠の乱は、牧の方の告げ口によって引き起こされたとされており、時政と牧の方は失脚へと繋がりました。
✅ 記事では、NHK大河ドラマ「鎌倉殿の13人」で牧の方を演じる宮沢りえのコメントを紹介し、彼女が演じる牧の方への期待感を高めています。また、記事内では「鎌倉殿の13人」に登場する主要人物の紹介や関連情報も掲載されています。
さらに読む ⇒和樂web 美の国ニッポンをもっと知る!出典/画像元: https://intojapanwaraku.com/rock/culture-rock/153925/ドラマでは、牧方の悪女っぷりが際立っていました。
NHK大河ドラマ「鎌倉殿の13人」では、牧方は、時政を操り、自身の利のためにさまざまな策略を巡らせている悪女として描かれています。
ドラマの中では、義理の娘である政子に夫の浮気を密告したり、畠山重忠を謀反の疑いありとして討つよう時政にけしかけたりするなど、その悪女っぷりが際立っていました。
特に第35回では、牧方は娘婿の平賀朝雅の嘘に乗せられ、畠山重忠が政範を毒殺したと信じ込み、時政に討伐を命じます。
しかし、実際には朝雅が政範を毒殺したことが明らかになっており、牧方の行動は誤った判断であったことがわかります。
ドラマの牧方、すごい怖いんだけど。
史実の中の牧方:時政の政治的な成功に貢献した人物
続いて、史実における牧方について解説していきます。
✅ 北条時政は、畠山重忠を謀殺し、娘婿の平賀朝雅を将軍にしようと画策しました。しかし、御家人からの反発を受け、執権の座を追われそうになりました。
✅ その後、時政は将軍・実朝を隠居させようとした事件(牧氏事件)を起こしますが、御家人たちの反対により失敗し、伊豆国へ追放されました。
✅ 時政は伊豆国で病死し、牧の方は娘婿の藤原国通を頼って京都へ移り、贅沢な余生を送りました。
さらに読む ⇒日本文化と今をつなぐウェブマガジン - Japaaan出典/画像元: https://mag.japaaan.com/archives/150938/2史実の牧方は、ドラマとは少し異なる解釈がされています。
史実では、牧方は「牧の方」と呼ばれ、時政の後妻として登場します。
ドラマと同じように、牧方は時政の政治的な野心をあおる存在であり、彼の出世に大きく貢献しました。
しかし、ドラマのような悪女っぷりは描かれていません。
牧方の晩年の様子は、史実では詳しくわかっていません。
ドラマでは、時政が失脚した後、牧方も姿を消します。
ドラマでは、牧方は悪女として描かれ、視聴者からは「嫌い!
」という声も多かったですが、史実では、時政の政治的な成功に貢献した人物として位置づけられています。
ドラマはドラマ、史実は史実やな。
牧方:史実とドラマの対比
では、最後に、史実とドラマにおける牧方について比較検討していきましょう。
公開日:2024/02/04
✅ 牧の方は、北条時政の後妻で、貴族出身だったと考えられています。彼女は、時政との間に一男三女をもうけ、その華麗な服装は北条家のステータスを高める役割を果たしました。
✅ 牧方は、時政との間に生まれた息子・北条政範を溺愛していましたが、そのことから時政の嫡男である北条義時との関係は良好ではなく、義時と政範の対立に発展しました。
✅ 牧方は、時政とともに鎌倉幕府を追放され、その後、政範と共に伊豆で暮らしました。彼女は、時政の死後も権勢を維持しようとしましたが、その後、政範も病死し、牧方の消息は不明となっています。
さらに読む ⇒ BUSHOO!JAPAN(武将ジャパン)出典/画像元: https://bushoojapan.com/jphistory/middle/2024/02/04/166044史実とドラマ、どちらの牧方が本当なのでしょうか?
牧方は、時政の寵愛を受けながら、その影響力ゆえに鎌倉幕府を揺るがす存在となり、悪女と呼ばれるに至りました。
しかし、彼女の行動の裏には、時政への愛情と、息子・政範への深い愛情があったのかもしれません。
牧方の生涯は、鎌倉幕府の権力闘争の激しさと、その中で生きた女性たちの苦悩と葛藤を垣間見せる、興味深い物語です。
NHK大河ドラマ「鎌倉殿の13人」では、牧方は、時政を操り、一族の権力掌握に大きく貢献する人物として描かれ、視聴者からは嫌悪感を抱かれることも多く、「嫌い!
」という声も多数見られます。
史実では、牧方は時政の側室として伊豆で暮らし、後に側室から正室に昇格しました。
時政が権力を得る上で大きな役割を果たしたとされ、義時の誕生にも深く関わっています。
しかし、牧方は時政と対立し、最終的には時政によって殺害されたという説が有力です。
ドラマでは、牧方のその後がどのように描かれるのか、注目が集まっています。
牧方は、京の都に未練があり、時政が頼朝とともに平家を倒せば都に住めると期待していました。
一方で、頼朝の妻である政子をライバル視し、自分が格下扱いされることを不満に思っていたようです。
牧方は頼朝の愛妾・亀との騒動の際に、産後すぐだった政子に頼朝の浮気を告げ口し、政子は怒って亀の屋敷を打ち壊させています。
この事件は、頼朝と時政の対立、そして政子の怒りを招き、北条家は大騒動に巻き込まれます。
また、牧方は時政をそそのかして畠山重忠の乱を引き起こしたともされています。
牧方は娘婿の平賀朝雅が畠山重保と口論になったことを聞き、畠山親子に謀反の疑いありと時政に讒言し、時政を畠山親子討伐へと駆り立てたとされています。
さらに、牧方は時政と共謀して3代将軍・源実朝の殺害を計画しますが、この計画は義時らに知られて失敗に終わります。
ドラマでは、時政とりくの夫婦関係が三谷幸喜の手によってコミカルに描かれる予定で、これまで描かれていたような悪女にはしないとのことです。
宮沢りえによる新しい牧方の人物像にも期待が高まります。
歴史とドラマ、どちらも違った側面から真実を探ることで、より深く理解することができます。
以上のことから、牧方は鎌倉幕府の権力闘争に深く関わった人物であり、その生涯は史実とドラマで異なる解釈がされていることがわかりました。
💡 牧方は、北条時政の継室として鎌倉幕府の権力闘争に深く関わっていた。
💡 牧方は、時政の政治的な野心をあおる存在であった。
💡 牧方の生涯は、史実とドラマで異なる解釈がされている。