伊東四朗さんの人生は、笑いでいっぱい?喜劇役者としての軌跡とは!?
💡 伊東四朗さんは、戦時中の記憶を今も鮮明に覚えている。
💡 伊東四朗さんの芸能界での活躍は、軽演劇から始まり、テレビ、映画など多岐にわたる。
💡 伊東四朗さんと小松政夫さんのコンビは、多くの人の記憶に残る伝説的な存在である。
それでは、伊東四朗さんの人生について、詳しく見ていきましょう。
伊東四朗氏の生い立ちと役者への道
伊東四朗さんの生い立ちと役者への道について、詳しく解説していきます。
公開日:2023/04/27

✅ この記事は、東京大空襲の中でもあまり知られていない「山の手空襲」に焦点を当て、その惨状と被害の大きさを詳細に解説しています。
✅ 特に、5月24日~26日にかけて行われた山の手空襲では、下町空襲を上回る数の焼夷弾が投下され、皇居や東京駅など都心部も大きな被害を受けました。
✅ また、聖パウロ修道会のメンバーであるカルロ・ポアノ神父の日記が紹介され、空襲の様子をリアルに伝える貴重な資料として、当時の状況をより深く理解させてくれます。
さらに読む ⇒文化放送 FMラジオ91.6MHz AMラジオ1134kHz JOQR出典/画像元: https://www.joqr.co.jp/qr/article/63300/戦時中の経験は、伊東四朗さんの人生に大きな影響を与えたのでしょうね。
伊東四朗氏は1937年東京生まれ。
戦時中の記憶として、爆撃の音や焼夷弾の炸裂音を今でも鮮明に覚えていると語る。
家族は芸能好きで、父は三味線を弾き、姉はクラシック音楽を愛し、母はいつも鼻歌を歌っていた。
伊東氏の家は洋服屋の下請けで、戦時中は静岡の掛川に疎開していた。
兄は復員後すぐに劇団を結成し、伊東氏も子役として参加した。
兄は手先が器用で、色鉛筆で偽札を作ったり、ボール紙で蒸気機関車を作ったりして伊東氏を遊ばせてくれた。
伊東氏は映画も舞台も遠い存在だと感じており、就職試験に落ち続け、結局早稲田と東大の大学生協でアルバイトをすることになった。
大学生の頃は役者になる夢は持っていなかったが、就職先が見つからなかったためアルバイト中に劇団の勧誘を受け、役者の道へ進むことになる。
戦争の記憶って、そう簡単に消えるもんちゃうでなぁ。
伊東四朗さんの芸能界での活躍
伊東四朗さんの芸能界での活躍について、詳しく見ていきましょう。
公開日:2023/05/25

✅ 伊東四朗は、三谷幸喜作品への出演を決めたきっかけについて、三谷幸喜の脚本の面白さ、そして三谷幸喜自身の魅力を感じたことを語っています。
✅ 伊東四朗は、当初は舞台への出演に抵抗を感じていましたが、三谷幸喜の熱意と脚本の面白さに心を動かされ、出演を決意しました。
✅ 伊東四朗は、三谷幸喜作品への出演を通して、舞台の魅力を再認識し、新たな挑戦を楽しんでいることを明かしています。
さらに読む ⇒AERA dot. (アエラドット) | 時代の主役たちが結集。一捻りした独自記事を提供出典/画像元: https://dot.asahi.com/articles/-/194430?page=1三谷幸喜作品への出演は、伊東四朗さんの新たな挑戦だったんですね。
伊東四朗さんは、浅草の軽演劇から始まり、てんぷくトリオでブレイク、小松政夫さんとのコンビ芸で大流行、そして現在も三谷幸喜作品などで活躍する、日本を代表する喜劇人です。
2004年のインタビューでは、映画『NIN×NIN忍者ハットリくんTHEMOVIE』出演について、鈴木雅之監督との縁や藤子不二雄(A)作品への出演について語っています。
香取慎吾さんとの共演については、三谷幸喜作品での繋がりや、SMAPの才能について触れ、自身の若い頃と比較しながら、その才能に感嘆しています。
劇中では、主人公の父親役を演じ、自身の代表的なフレーズ「ニンッ!」と、主人公の「ニンニン」が共演する場面も。
「ニンッ!」の由来は、時代劇の舞台で演出家の指示により、戸を開けて出てくるシーンで「ニン!」とやったのが始まりで、『ザ・チャンス』で、出場者カードを引くときにアクセントをつけて「ニンッ!」と使ったことから広まったそうです。
伊東四朗さんのユーモアと才能、そして役者としての魅力が詰まったインタビューです。
伊東四朗さんは、喜劇役者として、時代を超えて愛される存在ですね。
伝説のコンビ、伊東四朗&小松政夫
伊東四朗さんと小松政夫さんのコンビについて、詳しく見ていきましょう。
公開日:2021/12/31

✅ この記事は、伊東四朗さんと小松政夫さんのコンビがブレイクした経緯を、特に「みごろ!たべごろ!笑いごろ!」という番組を中心に説明しています。
✅ 伊東四朗さんは、幼い頃から喜劇映画に親しみ、ストリップのフランス座でコントを演じることから喜劇の道へ進みます。小松政夫さんは、植木等の付き人を経て芸能界入りし、当初は淀川長治のモノマネが得意でした。
✅ 2人は「お笑いスタジオ」や「笑って!笑って!!60分」などで共演した後、「みごろ!たべごろ!笑いごろ!」で、特に「電線音頭」や「ベンジャミン伊東」などのコントで人気を博し、番組を牽引しました。
さらに読む ⇒ 1970年生まれ 男のロマンBlog出典/画像元: https://www.roman-blog.com/tv_program/%E9%9B%BB%E7%B7%9A%E3%83%9E%E3%83%B3%E3%81%A8%E3%81%97%E3%82%89%E3%81%91%E9%B3%A5%E3%80%9C1976-%E4%BC%8A%E6%9D%B1%E5%9B%9B%E6%9C%97%E5%B0%8F%E6%9D%BE%E6%94%BF%E5%A4%AB%E3%80%8C%E3%81%BF%E3%81%94「電線音頭」は、世代を超えて愛される名曲ですね。
伊東四朗さんと小松政夫さんのコンビは、1970年代後半に『みごろ!たべごろ!笑いごろ!』で一世を風靡しました。
番組は当初キャンディーズ中心のバラエティでしたが、伊東&小松コンビの「電線音頭」が人気を博し、番組を乗っ取るほどの大ブレイクを果たしました。
特に「ベンジャミン伊東」の電線音頭は伝説となり、番組のクライマックスを飾りました。
伊東四朗さんは、フランス座でコントを演じ、その後「てんぷくトリオ」で活躍。
一方、小松政夫さんは植木等の付き人から芸能界入りし、二人のコンビは『お笑いスタジオ』で初共演を果たします。
1975年の『笑って!笑って!!60分』で人気が上昇し、『みごろ!たべごろ!笑いごろ!』で頂点に達しました。
キャンディーズの3人は「悪ガキ一家の鬼かあちゃん」で、伊東&小松コンビと息の合ったコントを披露しました。
小松さんはキャンディーズのプロ意識の高さを称賛しており、番組は引退を控えたキャンディーズにとって、最後の輝かしい舞台となりました。
この番組は、二人のコンビの代表作であり、70~80年代のお笑い史に大きな足跡を残しました。
「ベンジャミン伊東」って、めっちゃ面白そう!笑
伊東四朗氏の芸能活動の始まり
伊東四朗さんの芸能活動の始まりについて、詳しく見ていきましょう。

✅ 伊東四朗さんは、学生時代に就職活動に失敗し、たまたま入った大学生協でアルバイト中に演劇の世界に足を踏み入れました。
✅ その後、軽演劇一座「笑う仲間」に入団し、その後三波伸介さんと戸塚睦夫さんと「てんぷくトリオ」を結成、人気者になりました。
✅ 伊東四朗さんは、てんぷくトリオの活動と並行して、ソロでの活動も開始し、俳優として活躍の場を広げました。特に、小松政夫さんと組んだ「電線音頭」は、伊東さんが「ベンジャミン伊東」として怪演したことで大きな話題となりました。
さらに読む ⇒女性自身[光文社女性週刊誌出典/画像元: https://jisin.jp/entertainment/interview/1956460/伊東四朗さんの才能が、この頃から開花していたんですね。
伊東四朗は1937年6月15日生まれの日本の俳優、タレント、司会者です。
東京都立市ヶ谷商業高等学校卒業後、就職活動をするも不採用が続き、1958年に早稲田大学生協職員に採用されました。
その後、新宿フランス座の座付き俳優だった石井均の劇団「笑う仲間」に参加しました。
劇団はその後、石井均一座となり、伊東は当初「伊藤証」という芸名で活動していましたが、後に「伊東四朗」に改名しました。
石井均一座は浅草の松竹演芸場や新宿の新宿松竹文化演芸場を拠点に人気を博しました。
伊東は、石井一座で戸塚睦夫と三波伸介と出会い、三波伸介の失踪により代役として夜のキャバレー営業を行うようになりました。
その後、三波伸介が復帰した際、伊東はコンビからトリオ再編になったことを告げ、てんぷくトリオとして活動を始めました。
てんぷくトリオ、懐かしいなぁ〜。
伊東四朗氏の多彩な活動と笑いの哲学
伊東四朗さんの多彩な活動と笑いの哲学について、詳しく見ていきましょう。

✅ 本書は、当代一の喜劇役者・伊東四朗の半生を、約百年に亘る゛東京喜劇史゛を軸に描き出した本格的な評伝です。
✅ 伊東四朗が、てんぷくトリオ、電線音頭、笑ゥせぇるすまんから「おしん」の父親、白河法皇まで、様々な役柄で活躍してきた軌跡を、軽演劇やストリップ小屋、テレビバラエティ番組など、時代背景と共に詳しく解説しています。
✅ 伊東四朗自身の言葉や関係者の証言を通して、喜劇に対する情熱、舞台や共演者との出会い、そして喜劇の未来について考察しています。
さらに読む ⇒本の話 ~読者と作家を結ぶリボンのようなウェブメディア~出典/画像元: https://books.bunshun.jp/ud/book/num/9784163918433伊東四朗さんの人生は、まさに笑いの歴史ですね。
伊東四朗は、テレビドラマ『遠山の金さん』『ムー』『同心暁蘭之介』『おしん』『銭形平次』『ダブル・キッチン』『十津川警部シリーズ』『北条時宗』『おかしな刑事』シリーズ『忠臣蔵』『笑ゥせぇるすまん』『坂の上の雲』『平清盛』『ドクターX〜外科医・大門未知子〜』『老害の人』など、数多くの作品に出演しています。
映画では『マルサの女』『天河伝説殺人事件』『ミンボーの女』『スーパーの女』などに出演しています。
また、白子のりやヤクルトなどのCMにも出演しています。
2007年に映画『しゃべれどもしゃべれども』で報知映画賞助演男優賞を受賞しています。
伊東四朗さんが、3月24日放送の「徹子の部屋」に出演。
85歳になった今でも舞台に立ち続ける伊東さんは、60年以上前に喜劇役者としてデビューし、数々の名ギャグを生み出した盟友・故小松政夫さんとの思い出を語る。
番組では、3年前に亡くなった小松さんと1年半前に「徹子の部屋」に出演した際に、一緒に過ごした日々や小松さんの名人芸について振り返る。
伊東四朗の評伝『笑いの正解東京喜劇と伊東四朗』(文藝春秋)の著者・笹山敬輔氏が、伊東四朗の芸歴や東京喜劇について解説。
伊東四朗は、てんぷくトリオ、電線音頭、ムー一族、おしんの父親、笑ゥせぇるすまんの喪黒福造など、数々の喜劇役を演じてきた。
笹山氏は、伊東四朗の歩みをたどることで、日本の『笑い』の歴史を描こうとしたと語る。
東京喜劇は芝居としての『笑い』であり、喜劇役者が役を演じて笑わせるものだと説明。
伊東四朗とドリフターズは、共に舞台を基本とし、演じる笑いに徹している点を共通点として挙げている。
伝説の番組「みごろ!たべごろ!笑いごろ!」は、出演者が役に徹して素を見せないところに違いがあるという。
現在出演中の「熱海五郎一座」は、出ずっぱりの伊東四朗の活躍に圧倒されたと笹山氏は語っている。
取材現場での伊東四朗の素顔について、笹山氏は渥美清の話をする時の声色や昔の芝居の台詞をさらりと披露する姿などを振り返っている。
本書のタイトルにある「正解」について、笹山氏は伊東四朗の言葉「正解を知っているのはお客さん」「笑いはドキュメント」を引用し、時代を反映し、客席の雰囲気を探ろうとする姿勢こそが「正解」だと締めくくっている。
笑いは、時代を超えて人々に感動を与える素晴らしい力ですね。
伊東四朗さんの人生は、笑いに満ち溢れた素晴らしいものでした。
💡 伊東四朗さんは、戦時中の経験から人生観を学び、役者としての人生を歩み始めた。
💡 伊東四朗さんは、軽演劇から始まり、テレビドラマ、映画、舞台と多岐にわたる活躍を続け、数々の名作を生み出した。
💡 伊東四朗さんと小松政夫さんのコンビは、日本のお笑い史に大きな足跡を残した。