Beyond Carpet Logo Menu opener

内海桂子の人生は、笑いと共に… 97歳で逝去した漫才師の波乱万丈な人生とは?漫才界のレジェンド!!

97歳で逝去した女流漫才師、内海桂子。80年以上の芸歴、幾多の苦難を乗り越え、常に前向きに生きた姿を描く。ナイツとの師弟愛、晩年の舞台、そして彼女を支えた人々。破天荒な人生と芸への情熱が詰まった、感動のドキュメント。

内海桂子の人生は、笑いと共に… 97歳で逝去した漫才師の波乱万丈な人生とは?漫才界のレジェンド!!

📘 この記事で分かる事!

💡 内海桂子さんは、漫才界のレジェンドとして、多くの人に愛されました。

💡 激動の幼少期、戦中戦後の混乱期を生き抜き、漫才師として成功を収めました。

💡 晩年は後輩育成にも力を注ぎ、漫才界の発展に大きく貢献しました。

それでは、内海桂子さんの人生を紐解いていきましょう。

激動の幼少期と漫才への道

内海桂子の人生を変えた出来事は何?

9歳での蕎麦屋奉公と漫才への道。

内海桂子さんの壮絶な人生、本当に色々な経験をされてきたんですね…。

内海桂子さん、歳で死去現役最高齢の漫才師:朝日新聞デジタル

公開日:2020/08/28

内海桂子さん、歳で死去現役最高齢の漫才師:朝日新聞デジタル

✅ 漫才協会名誉会長で、現役最高齢の漫才師、内海桂子さんが22日に97歳で亡くなりました。

✅ 1938年に漫才師として初舞台を踏み、戦後、内海好江さんとコンビを組み人気を博しました。近年ではウッチャンナンチャンやナイツなどの師匠として若者にも知られていました。

✅ NHK漫才コンクール優勝、芸術選奨文部大臣賞、日本放送演芸大賞功労賞、紫綬褒章、浅草芸能大賞など数々の賞を受賞し、勲四等宝冠章も受章しました。

さらに読む ⇒朝日新聞デジタル:朝日新聞社のニュースサイト出典/画像元: https://www.asahi.com/articles/ASN8X2GBCN8XUCLV001.html

大変な幼少期だったんですね。

それでも漫才の世界へ飛び込むとは、本当に強い意志を感じます。

内海桂子こと安藤良子は 1922 年 9 月 12 日、千葉県銚子市に生まれました。

父の一良は駆け落ち後に失踪し、母千代は様々な職を転々とし、生活は苦しいものでした。

1923 年 9 月 1 日の関東大震災では、一家は大きな被害を受け、避難生活を送りました。

その後、一良は上京し、千代は桂子を連れて後を追いました。

上京後、一良は再び博打に手を出し、千代は桂子を連れて家を出ました。

1927 年、千代はペンキ職人の大橋文三郎と再婚し、桂子は異母兄弟を迎えました。

しかし、文三郎は安藤家への不信感を募らせるようになり、夫婦生活は悪化していきました。

桂子は、小学校入学時に戸籍上の問題に直面し、文三郎との関係はさらに悪化しました。

文三郎は酒浸りの生活を送るようになり、千代と子供たちに暴力を振るうようになり、夫婦関係は冷え切りました。

9歳の頃に神田の蕎麦屋に奉公に出され、その経験から生きていくための知恵とたくましさ、努力の大切さを学びました。

16歳で漫才の世界に入り、結婚、出産、離婚を経て、ピン芸人として活動しました。

戦後、染芳とのコンビを結成しますが、染芳の薬物中毒により再びピン芸人となり、その後、奥田芳江とのコンビ「内海桂子・好江」を結成し、大きな成功を収めます。

昭和33年には NHK 新人漫才コンクールで優勝、その後も数々の賞を受賞しますが、晩年には長男と相方の好江を癌で亡くす悲しみを経験します。

ほんまに大変な人生やな。でも、その経験があったからこそ、あんなに面白い漫才が出来たんやろな。

不屈の精神と芸への情熱

内海桂子、80歳超えの試練を乗り越えた秘訣は?

不屈の精神と舞台への情熱。

内海桂子さんの不屈の精神は、本当に尊敬に値します。

内海桂子さん死去東京漫才をけん引若手育成にも尽力:東京新聞デジタル
内海桂子さん死去東京漫才をけん引若手育成にも尽力:東京新聞デジタル

✅ 内海桂子さんは、80年以上続く芸歴の中で、東京漫才の灯を守り続けた漫才師でした。

✅ 戦後、シングルマザーとして子を守りながら、厳しい修行で後輩を育て、都々逸や踊りを織り交ぜた音曲漫才で人気を博しました。

✅ 晩年には、漫才協会会長として若手育成に尽力し、上方勢に押されがちだった東京漫才の地位向上に貢献しました。

さらに読む ⇒東京新聞出典/画像元: https://www.tokyo-np.co.jp/article/51739

80年以上も漫才を続け、後輩を育て、本当に素晴らしいですね。

内海桂子さんは、不屈の精神で活動を続け、平成 10 年には漫才協会五代目会長に就任、翌年には 77 歳で結婚しました

東京漫才の復興に尽力し、80年以上芸歴を持ち、厳しい指導で後進を育成しました。

戦争や空襲を経験し、シングルマザーとして子供を育てながら、常に前向きに人生を歩んできました。

都々逸や踊りを織り交ぜた音曲漫才は、粋で独特なものでした。

晩年は若手育成に力を入れており、漫才協会会長として浅草東洋館の定席をスタートさせました。

生涯、本物の芸を追い求め、律義で情熱的な人でした。

長い芸歴の中で、数々の困難を乗り越えてきました。

80歳を過ぎてからも、手首骨折、中足骨骨折、乳がん、白内障、肺炎など様々な病気やけがを経験してきましたが、持ち前の明るさと根性で乗り越えてきました。

今回の大腿骨骨折も、桂子さんにとって大きな試練でしたが、彼女は手術とリハビリに懸命に取り組み、わずか 3 カ月で舞台に復帰しました。

その強い意志と舞台への情熱は、多くの人の心を打つものです。

まさに生ける伝説ですね。時代を超えて愛される芸の力は、素晴らしいものです。

次のページを読む ⇒

97歳で逝去した女流漫才師、内海桂子。芸歴81年、晩年まで舞台に立ち続けた彼女の生き様を、関係者の証言やエピソードで紐解く。ナイツとの秘話も。