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森英恵:日本のファッション界を牽引したレジェンドの生き様とは?「装う」ことへの意識が芽生えた幼少期から、世界に羽ばたく蝶へ!!?

日本のファッション界に革命を起こした森英恵。東洋と西洋を融合した優美なデザインは世界を魅了。「マダム・バタフライ」と呼ばれ、シャネルとの出会いも。家族との絆、苦労を語らない姿勢は、孫たちにも受け継がれる。時代を超えた美を追求した彼女の軌跡。

森英恵:日本のファッション界を牽引したレジェンドの生き様とは?「装う」ことへの意識が芽生えた幼少期から、世界に羽ばたく蝶へ!!?

📘 この記事で分かる事!

💡 森英恵は日本のファッション界のレジェンドであり、日本の伝統的な美意識を世界に発信した。

💡 彼女は東洋と西洋の美を融合させた独自のデザインで、世界中で愛されている。

💡 森英恵の生き様は、多くの人々にインスピレーションを与え続けている。

では、まず第一章として、森英恵さんの生い立ちと、ファッション界への貢献についてお話します。

森英恵:日本のファッション界を牽引したレジェンド

森英恵、ファッション界に革命!何で呼ばれてた?

「マダム・バタフライ」!東洋と西洋の融合。

森英恵さんの功績は、日本のファッション界に大きな影響を与えたと言えるでしょう。

日本からパリのオートクチュールまで:マダム・バタフライ、森英恵の魅惑の運命。

公開日:2022/08/19

日本からパリのオートクチュールまで:マダム・バタフライ、森英恵の魅惑の運命。

✅ 森英恵は、日本のファッション界に大きな影響を与えたデザイナーであり、東洋と西洋の美を融合させた独自のデザインで世界的に有名になりました。

✅ 彼女は、1977年に日本人女性として初めてパリ・オートクチュール協会に入会し、東洋的なモチーフを取り入れたオートクチュール作品を発表することで、ファッション界に新たな風を吹き込みました。

✅ 森英恵は、自身のブランドを通して、女性が美しく、自信に満ち溢れた姿になれるような服作りを目指し、その作品は多くの女性に愛され、ファッション界に大きな足跡を残しました。

さらに読む ⇒(フィガロジャポン)出典/画像元: https://madamefigaro.jp/culture/220819-hanae-mori-01.html

本当に素晴らしいですね。

森英恵さんの作品は、今もなお多くの女性に愛されています。

森英恵は、1926年生まれの日本のファッションデザイナーであり、東洋と西洋の融合を特徴とする独自のスタイルで知られています

1977年に日本人女性として初めてパリ・オートクチュール協会に入会し、日本の伝統的な美意識と西洋のファッションを調和させ、花や蝶など自然モチーフを多く取り入れたデザインで注目を集めました。

1980年代には、彼女のブランドは世界的に成功し、日本のファッション界を牽引する存在となりました。

1977年のパリでの初コレクションでは、日本の伝統的な文化と西洋のファッションを融合させた作品を発表し、大きな反響を呼びました。

その後も、東洋的な要素を取り入れた斬新なデザインを発表し続け、「マダム・バタフライ」の異名で呼ばれるようになりました。

森英恵は、日本の伝統的な美意識を世界に発信し、日本のファッション界に大きな影響を与えた人物です。

彼女は、その功績によって、2004年に日本の文化勲章を受章しました。

彼女の死は、ファッション界に大きな損失をもたらしました。

パリって、おしゃれな人がいっぱいおるやろ?そんなとこで認められるってすごいわ。

森英恵の歩み:夢と挑戦に満ちた人生

森英恵がパリで衝撃を受けたショーとは?

ココ・シャネルのオートクチュールショー

森英恵さんは、幼少期から「装う」ことへの強い意識を持っていたんですね。

歳を迎えた森英恵「シャネル」のサロンを訪れた初めての東洋

公開日:2020/04/13

歳を迎えた森英恵「シャネル」のサロンを訪れた初めての東洋

✅ この記事は、展覧会「森英恵 世界にはばたく蝶」の概要と、森英恵の幼少期からパリでの経験までを紹介しています。

✅ 特に、森英恵が「装う」ことへの意識を芽生えさせた幼少期の経験、映画衣裳制作を通して腕を磨いた過程、そしてココ・シャネルからオレンジ色の着こなしを提案されたエピソードが詳しく語られています。

✅ 森英恵のタイムレスなスタイルや、彼女のデザインに影響を与えた様々な要素について、具体的なエピソードと共に紹介されています。

さらに読む ⇒出典/画像元: https://www.wwdjapan.com/articles/1068109

ココ・シャネルからオレンジ色の着こなしを提案されたエピソードは、興味深いです。

森英恵は、島根県で開業医の父と母のもと、5人兄弟の次女として生まれました

両親はロマンチックな出会いをしたそうです。

父は教育熱心でアートを愛するおしゃれな男性で、その影響で幼い頃から「装う」ということへの意識が芽生えたと言われています。

東京女子大学卒業後、1948年に結婚し、新婚生活3カ月で服作りを学ぶためドレスメーカー女学院に通い始めます。

出産後も服作りにのめり込み、1951年には新宿に「ひよしや」を開店。

若者の街で評判になり、映画の衣裳デザインも手がけるようになりました。

50年代の日本映画全盛期には、数百本にものぼる映画衣裳を制作し、多忙な日々を送ります。

しかし、次第に燃え尽きを感じ、1961年にパリへ渡ります。

そこで、ココ・シャネルのオートクチュールショーを見て衝撃を受け、自身のためにシャネル・スーツをオーダーしました。

森英恵は、シャネルサロンを訪れた初めての東洋人だったそうです。

ココ・シャネルは、森英恵の黒髪を見て「日本は日出づる太陽の国、だからオレンジがよいのではないかしら」とオレンジ色のスーツを勧めました。

森英恵は、オレンジのジャケットは派手すぎるため、ブラウスにオレンジを取り入れ、スーツは落ち着きのあるベージュのツイードをベースにオレンジのネップを散らした生地で制作しました。

シャネル・スーツをオーダーしたエピソードは、森英恵さんのファッションへの情熱を感じますね。

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森英恵さん、娘、孫…3世代の絆!美意識と教えを受け継ぎ、互いを支え合う家族の温かい物語。展覧会中止も、そのDNAは永遠に。