寺山修司と三上博史、二人の深いつながりとは?寺山修司の言葉が紡ぎ出す三上博史の歌劇とは!!?
💡 寺山修司は、演劇や映画、文学を通して社会への鋭い視点を提示したマルチアーティストです。
💡 寺山修司は、アングラ演劇の先駆者として、従来の価値観を覆す革新的な作品を生み出しました。
💡 寺山修司の作品は、現実と虚構、都市と地方といった対照的な概念を融合し、独自の表現世界を構築しています。
それでは、第一章、寺山修司の生涯と業績についてお話していきます。
寺山修司の生涯と業績
寺山修司の生涯と業績について、詳しくご紹介しましょう。
✅ 寺山修司は、多岐にわたる分野で活動したマルチアーティストで、演劇、映画、文学などを通して、高度成長期における社会の矛盾や人間の精神の解放を訴え、現代でも多くの人の心を捉え続けています。
✅ 特に「演劇実験室◎天井棧敷」を設立し、アングラ文化全盛期に従来の価値観を覆すような革新的な作品を世に送り出しました。
✅ 青森の言葉や風土を作品に反映させ、現実と虚構、都市と地方といった対照的な概念を融合させた作品は、寺山芸術の大きな特徴と言えるでしょう。
さらに読む ⇒ 青森県立美術館出典/画像元: https://www.aomori-museum.jp/collection/terayama/寺山修司の人生は波乱万丈で、彼の作品にもその影響が色濃く反映されていると感じます。
寺山修司は、昭和時代に活躍した多才なクリエーターで、歌人、脚本家、演出家、映画監督、写真家、エッセイストなど、様々な分野で活躍しました。特に劇団『天井桟敷』の主宰として、アングラ演劇を牽引したことで知られています。青森県弘前市で生まれた寺山は、複雑な家庭環境の中で育ち、中学生時代に俳句に目覚めたことをきっかけに創作活動をスタートさせました。寺山は、演劇においてはメンバーを家族のように扱い、一体感を重視していました。彼の作品は、既存の概念を打ち破る革新的なもので、世界中の若者から熱狂的な支持を集めました。晩年は、肝硬変と腹膜炎を患い、58歳で亡くなりました。寺山は、青森訛りを大切にし、自身の作品に独特の個性を与えていました。また、母との複雑な関係は、彼の作品に深く影響を与えたと考えられています。彼の死は、医療過誤によるものだったとされています。
生まれた時から、苦労ばっかりやな…寺山さんの人生は、まさにドラマチックやわ!
寺山修司の表現活動と影響力
続いて、寺山修司の表現活動と影響力について、詳しく見ていきましょう。
✅ 「寺山修司―過激なる疾走―」は、故高取英が寺山修司に捧げた鎮魂歌であり、テラヤマの生涯と劇の中の「母子の物語」をコラージュし、「父=国家不在」の物語を創り出した舞台作品です。
✅ この作品は、流山児★事務所によって2020年8月に上演され、コロナ禍の中、スズナリで客席を半分にして上演されました。音楽はJ・Aシーザー、振付は神在ひろみ、主演は伊藤弘子、山丸莉菜、月蝕歌劇団の白永歩美など豪華なキャストが参加しました。
✅ 現在は、早稲田大学演劇博物館にてデジタルアーカイブデータとして視聴可能となっており、観客は「AVブース」にて無償で鑑賞することができます。
さらに読む ⇒EPAD|作品データベース出典/画像元: https://db.epad.jp/s/2110寺山修司の作品は、時代を超えて多くの人々に共感を与え続けています。彼の言葉は、私たちの人生に深く響くものがあります。
寺山修司は、俳句から始まり、短歌、詩、エッセイ、評論、ラジオ・テレビシナリオ、演劇、映画、写真と、多岐にわたるジャンルで新しい表現を追求した表現者です。彼は幼少期に父親が戦死し、母親とも離れて過ごす孤独な経験をしました。その経験は、彼の人生観や作品に大きな影響を与え、故郷や家族への複雑な感情を作品に投影しました。特に、「家出のすすめ」という評論では、若者に向けて、自分自身を見つめ直すため、家族から離れて自立することの重要性を説いています。寺山は、言葉の錬金術師とも呼ばれ、数々の名言を残しました。彼の作品は、時代を超えて多くの人に支持され続けています。彼の言葉は、生きることの喜びや苦しみ、そして人生の奥深さを教えてくれるでしょう。
寺山修司の表現活動は、当時の社会状況や人間の心理を深く反映しており、現代においても学ぶべき点が多いです。
寺山修司の短歌の世界
では、寺山修司の短歌の世界について、深掘りしていきましょう。
公開日:2019/01/10
✅ 寺山修司の代表作品「マッチ擦るつかのま海に霧ふかし身捨つるほどの祖国はありや」は、マッチの火で一瞬だけ見えた霧深い海を、祖国への疑念、諦観、絶望に重ねて表現した短歌です。
✅ 表現技法としては、3句切れ、反語を用いた「や」による否定的な表現などが用いられ、祖国への疑問を深め、作者の孤独とニヒリズムを漂わせる効果を生み出しています。
✅ この作品は、寺山修司が父を戦場で失った経験や、当時の政治運動や社会状況、さらには短歌における虚構性など、様々な要素が重なり合い、彼の名を世に知らしめる作品となりました。
さらに読む ⇒マッチ擦るつかのま海に霧ふかし身捨つるほどの祖国はありや 寺山修司出典/画像元: https://tankanokoto.com/2019/01/macchisuru.html寺山修司の短歌は、彼の内面を深く反映しており、読者に強い衝撃を与えます。
寺山修司は短歌、俳句、劇作家としてもマルチに活躍した作家です。彼の代表的な短歌作品には、「マッチ擦るつかのま海に霧ふかし身捨つるほどの祖国はありや」や「君の歌うクロッカスの歌」などがあります。寺山修司の短歌の特徴は、以下の点が挙げられます。虚構性 実際にはいない弟が登場したり、生きている母がすでに亡くなったように表現されるなど、現実とは異なる設定を用いることが特徴です。韻律 字余りや破調はほとんど見られず、整然とした韻律を持ち、特に下句に読者の心を捉える展開がある点が特徴です。社会への疑問 「マッチ擦るつかのま海に霧ふかし身捨つるほどの祖国はありや」など、当時の社会情勢に対する疑問や懐疑を表現した作品が多く見られます。寺山修司は、短歌研究新人賞を受賞した「チェホフ祭」で歌壇デビューを果たしました。その後、一部の作品が俳句からの剽窃であることが発覚し、歌壇から排斥された時期もありましたが、彼の作品は現在も多くのファンに愛されています。寺山修司の短歌は、現代社会における多様な価値観や複雑な感情を鮮やかに描き出し、読者に深い感銘を与え続けています。
短歌って、難しいイメージがあるけど、寺山さんの短歌は、すごく分かりやすい!
三上博史と寺山修司の深い繋がり
続いて、三上博史と寺山修司の深い繋がりについてご紹介しましょう。
✅ 寺山修司没後40年を記念して、三上博史が8年ぶりに舞台出演を果たす「三上博史 歌劇」が、本日、紀伊國屋ホールで開幕した。
✅ 三上は寺山修司に影響を受け続けており、今回の舞台は、生々しい肉体、肉声、生音、匂いなど、肌感を重視した演出となっている。
✅ 三上は、寺山修司の言葉の群れが飛び交う舞台を通して、観客にその魅力の一端を感じてもらいたいと考えている。
さらに読む ⇒ナタリー - ポップカルチャーのニュースサイト出典/画像元: https://natalie.mu/stage/news/556243三上博史が、寺山修司の作品を舞台でどのように表現するのか、とても楽しみです。
俳優の三上博史は、J-WAVEの番組『STEPONE』に出演し、人生に影響を与えた人物として、脚本・演出家・詩人などマルチに活躍した寺山修司氏との出会いを語りました。15歳の時に映画『草迷宮』のオーディションで出会い、その後も多くの作品で共演。寺山氏は三上氏に「仕事場で大きな声で笑うな」とアドバイスしたことが印象に残っており、その言葉は40年経った今でも三上の行動指針になっていると明かしました。三上氏は毎年寺山氏の命日である5月4日には、故郷の青森県三沢市の「寺山修司記念館」で追悼ライブを行っており、寺山氏への深い敬意と愛情を感じさせます。番組では寺山氏が作詞した浅川マキの楽曲『ふしあわせという名の猫』を紹介。三上氏は来年1月9日から14日まで、新宿紀伊國屋ホールで上演される寺山修司没後40年記念舞台『三上博史歌劇―私さえも、私自身がつくり出した一片の物語の主人公にすぎない―』に出演予定です。この舞台は、三上氏がこれまで毎年続けてきた寺山氏の作品朗読を、新たな形で表現するもので、寺山氏との40年にわたる強い繋がりを感じさせる内容となっています。
寺山さんの言葉って、三上さんに染みついてるんやな。
寺山修司の遺産を受け継ぐ三上博史
最後に、寺山修司の遺産を受け継ぐ三上博史について、詳しくお話しましょう。
✅ 三上博史主演の舞台「三上博史 歌劇」が、寺山修司没後40年と紀伊国屋ホール開場60周年記念公演として開催される。
✅ 三上博史は、寺山修司作品への深い関わりを持ち、俳優人生で大きな影響を受けたことを語り、今回の舞台では寺山作品の魅力を表現することを目指している。
✅ 舞台は、生々しい肉体、肉声、生音、匂いを重視し、寺山さんの言葉が観客に届きやすく、救いを与えることを目指している。
さらに読む ⇒日刊スポーツ出典/画像元: https://www.nikkansports.com/entertainment/news/202401080001182.html三上博史は、寺山修司の作品を忠実に再現しながらも、自身の解釈を加えて、新たな魅力を引き出していると感じます。
三上博史は、寺山修司との出会いを人生の転換期と捉え、彼の言葉や作品から多くの影響を受けてきました。寺山修司の言葉は、三上博史の人生観や行動指針に深く刻み込まれ、彼の生き方そのものに影響を与えてきました。三上博史は、寺山修司への敬意と愛情を込めて、毎年彼の命日に追悼ライブを開催し、彼の作品を語り継いでいます。寺山修司の没後40年という節目に、三上博史は寺山修司の作品を新たな形で表現する舞台に出演することで、師への敬意と感謝の気持ちを表明しています。
三上博史は、寺山修司の作品を通して、人間の存在意義や社会の矛盾を深く考察し、観客に深い感動を与えています。
本日は、寺山修司と三上博史の関係についてご紹介しました。寺山修司の言葉が、今もなお、多くの人々に影響を与えていることが感じられました。
💡 寺山修司は、演劇や映画、文学など、多岐にわたる分野で活躍したマルチアーティストです。
💡 寺山修司の作品は、社会への鋭い視点を提示するとともに、人間の心の深淵を描き出しています。
💡 三上博史は、寺山修司の作品を通して、人間の存在意義や社会の矛盾を深く考察し、観客に深い感動を与えています。