横尾忠則:画家への転向、そして現在進行形!横尾忠則の芸術とは!?
💡 横尾忠則氏が画家への転向を決意したきっかけは、1980年のMoMAでのピカソ展でした。
💡 横尾忠則氏は、デザイナーから画家へ転向後、独自の芸術世界を確立し、現在も精力的に活動しています。
💡 横尾忠則氏は、戦後の日本のデザイン界に大きな影響を与え、幅広い分野で活躍しています。
それでは、横尾忠則氏の芸術家としての歩みについて詳しく見ていきましょう。
横尾忠則:芸術家としての歩み
横尾忠則氏にとって、ピカソ展での経験は大きな転換期だったのですね...
✅ 横尾忠則氏は、1980年のMoMAでのピカソ展をきっかけに画家への転向を決意した。
✅ 展覧会でピカソの作品を見て、様式の変化やアイデンティティに対する自由な考え方から、自身も絵画の世界で表現したいという強い思いを抱いた。
✅ 特に、ピカソの作品から「変化することこそ人生」という啓示を受け、45歳という年齢での転向を決意し、グラフィックデザイナーから画家へと道を変えた。
さらに読む ⇒美術手帖出典/画像元: https://bijutsutecho.com/magazine/special/promotion/1809445歳という年齢で、画家という新たな道を切り開くとは、本当にすごい決意ですね。
横尾忠則は1936年生まれの日本の代表的な美術家です。幼少期から絵画の才能を発揮し、中学生時代には漫画を描き始めました。戦後、神戸新聞社に入社しデザイナーとして活躍しますが、1982年に「画家宣言」を発表し、画家としての活動を本格化させました。ニューヨーク近代美術館での「ピカソ展」が画家への転向のきっかけとなり、以降は独自の芸術世界を追求しています。横尾忠則は、言葉で表せない芸性や美を重視し、日常生活の中に美術が入り込むことで新たな芸術が生まれると考えています。彼の作品は、独特な世界観と表現力によって、多くの人の心を魅了しています。
えーっと、あのー、ピカソ展って、すごいなぁ。
45歳で画家になるって、ホンマに勇気いるわ。
ピカソ展での経験が、横尾氏の芸術観に大きな影響を与えたことは想像に難くありません。
地震と直観
これは、興味深いお話ですね。
✅ 2011年8月6日から11月6日まで横浜美術館とBankART Studio NYKで開催される「ヨコハマトリエンナーレ2011」は、「OUR MAGIC HOUR -世界はどこまで知ることができるか?-」をテーマに、約60組の現代アーティストの作品を展示します。
✅ 今回のトリエンナーレでは、世界各国の著名なアーティストに加え、国内からも佐藤允、杉本博司、田名網敬一など、多くのアーティストが参加します。
✅ 展覧会は、現代美術を通して、謎や矛盾を受け止め、視点を変えれば世界が開ける可能性を探求するもので、既成の枠組みを超えた新しい視点を提示することを目指しています。
さらに読む ⇒ヨコハマ経済新聞出典/画像元: https://www.hamakei.com/headline/5947/直観というのは、本当に大切なものだと改めて感じます。
2011年3月11日、筆者はヨコハマトリエンナーレ2011の記者発表で横尾忠則と日本外国特派員協会の控室で話し合っていました。地震発生直前、横尾は空が濃いピンク色に染まっていたことに気づき、地震発生時には揺れをいち早く感知していました。筆者は、地震発生時の揺れと、頭では理解できない自然の力に肉体的に対峙した感覚を強烈に覚えていました。この経験は、直観を重視し、膨大な仕事量とメディア露出で独自のキャリアを築いた横尾の作品世界と深く繋がるように感じ、単なる偶然ではないと感じています。
地震って、怖いよね。
ホンマに、直観ってあるんやな。
地震発生直前の空の色や揺れを感知する、横尾氏の直観力は、まさに芸術家ならではと言えるでしょう。
現在進行形の横尾忠則
横尾忠則氏の活動は、多岐に渡りますね。
公開日:2024/06/29
✅ 銀座蔦屋書店で、美術家横尾忠則さんの「ビジュアル書評」を紹介するフェアが開催されています。
✅ 横尾さんは2009年から朝日新聞の書評委員を務め、文章だけでなく絵や活字の回転など独自のビジュアル書評で読者を魅了してきました。
✅ フェアでは、横尾さんの書評や原稿用紙、取り上げた書籍が展示され、購入も可能です。
さらに読む ⇒朝日新聞デジタル:朝日新聞社のニュースサイト出典/画像元: https://www.asahi.com/articles/ASS6X212RS6XUCVL01TM.html現在も精力的に活動されていて、本当に尊敬します。
横尾忠則さんは現在精力的に活動されています。8月27日からはNHKで「横尾忠則87歳の現在地」が再々放送されます。京都国立近代美術館では横尾さんの絵画や版画の展覧会が開催され、好評を得ています。秋には「週刊朝日」連載のエッセイ集が出版予定です。神戸の美術館では「レクイエム」と題した、友人や知人の死者とのコラボレーション作品展が開催されます。三島由紀夫、寺山修司、ジョン・レノンなど、時代を超えた存在をテーマにした作品が展示されます。また、世界初の「紙カミソリ®」に横尾さんの「ピンクガール」シリーズの作品がデザインされた商品が発売されます。銀座のGINZASIX蔦屋では、朝日新聞のビジュアル書評を集めた展示会が好評のため、期日が延期されました。
え、すごい!いろんなとこで活躍してるんだ!
さすがやな、横尾先生!
横尾氏の芸術は、時代を超えて多くの人々に影響を与え続けるでしょう。
デザイナーとしての横尾忠則
横尾忠則氏は、デザイナーとしても素晴らしい実績をお持ちなんですね。
公開日:2020/06/28
✅ 日宣美は、1951年に発足した日本の宣伝美術団体で、戦後日本のグラフィックデザイン界に大きな影響を与えました。公募展を通じて、戦後派第二世代の若手デザイナーを輩出し、彼らの作品はシルクスクリーン印刷を用いることが多く、特に下落合の「サイトウプロセス」という工房が中心的な役割を果たしました。
✅ サイトウプロセスは、1954年に斎藤久寿雄によって設立され、日宣美展に出品されるポスターの制作拠点となりました。スクリーン印刷は、少部数の印刷に適していたこと、ポスターカラーに近い質感を持つことから、日宣美展の作品制作に広く用いられました。
✅ サイトウプロセスは、粟津潔を始め、杉浦康平、田中一光など、多くの若手デザイナーが集まる場所となり、彼らと交流することで新しいデザイン表現が育まれ、日本のグラフィックデザインの発展を促進しました。
さらに読む ⇒ことばとイメージ出典/画像元: https://imaiyimp.jp/2020/06/28/jaac/田中一光氏との出会いは、横尾氏のデザイナーとしてのキャリアに大きな影響を与えたのでしょう。
横尾忠則氏は、1958年に日宣美展で賞を受賞し、デザイナーの田中一光氏と出会いました。一光氏の紹介で、翌年松下電器系のナショナル宣伝研究所に入りますが、翌月には退職し、日本デザインセンターに入社します。この頃、横尾氏の父が亡くなり、自立を決意したと語っています。
ううん、私、デザイナーの人よくわかんない。
田中一光って誰やねん?
戦後日本のグラフィックデザイン界を牽引した、日宣美は重要な役割を果たしました。
想像力の源泉
少年時代から積み重ねられた経験が、横尾忠則氏の想像力を育んだのですね。
✅ 横尾忠則は、戦後の日本のデザインが発展していく中で、グラフィックデザインの分野で頭角を現し、アングラ劇団のポスターなどで注目を集めました。
✅ その後、テレビドラマのタイトルバックや、カメラマン篠山紀信とのインド旅行など、様々な活動を通じて「昭和」という時代を生き抜き、自身の作品に「昭和」の文化や感情を表現してきました。
✅ 横尾忠則の作品は、西洋の美的価値観と日本の伝統的な文化が融合し、独特の「ごった煮」のような世界観を作り出しています。彼の作品からは、高度経済成長期の活気と同時に、日本の伝統的な文化への懐かしさを感じることができます。
さらに読む ⇒感性の時代屋 Vol.1出典/画像元: https://guchini.exblog.jp/22494049/横尾氏の作品には、少年時代の読書体験が色濃く反映されているのでしょう。
横尾忠則さんは、少年時代に江戸川乱歩の少年探偵団シリーズや南洋一郎の「バルーバの冒険」に魅了され、挿絵から広がる空想の世界にのめり込んでいた。特に山川惣治さんや鈴木御水さんの挿絵は、横尾さんの想像力を刺激し、都市とジャングルが繋がる独自の空想世界を構築するきっかけとなった。これらの読書体験は、後の画家としての活動の礎を築いたと語っています。
横尾さん、本好きなんだ!
ホンマに、人生って、いろんなとこで繋がってるんやな。
横尾氏の想像力の源泉は、豊かな読書体験にあり、それは彼の芸術作品に深みを与えています。
今日は横尾忠則氏についてご紹介しました。彼の芸術は、私たちに多くのインスピレーションを与えてくれます。
💡 横尾忠則氏は、ピカソ展をきっかけに画家へ転向し、独自の芸術世界を確立しました。
💡 横尾忠則氏は、デザイナー、画家、そして作家として、多岐にわたる分野で活躍しています。
💡 横尾忠則氏は、少年時代の読書体験を通して培われた想像力を作品に注ぎ込んでいます。