眞野あずさ、女優業から引退?今は…?その真相とは!?
往年の人気女優、眞野あずさ。芸能界入りからドラマ出演、そして介護の日々、そして姉・真野響子とのドラマ初共演まで。波乱万丈の人生を駆け抜けた彼女の最新情報と、知られざる過去に迫ります。サスペンスドラマファン必見!
💡 眞野あずささんは、7年前に芸能界を引退した。
💡 引退の理由は、母とパートナーの介護による心身の疲労。
💡 現在、姉の真野響子さんと共に、舞台で共演している。
それでは、眞野あずささんの現在について、詳しく見ていきましょう。
女優としての輝かしいキャリア
眞野あずさ、代表作は?
『はぐれ刑事純情派』、『高林鮎子シリーズ』!
眞野あずささんの女優としてのキャリアは、まさに華々しいものですね。

✅ 眞野あずささんは、1957年生まれの女優で、高校時代は女優のスカウトを何度も断っていたが、大学時代には様々なアルバイトを経験しながら、雑誌「週刊朝日」の表紙でモデルデビューを果たしました。
✅ その後、モデル業を辞め、女優に転身し、1982年にテレビドラマ「風の鳴る国境」で女優デビューを果たしますが、その後は両親の反対で事務所を辞めさせられてしまいます。
✅ しかし翌年には女優に復帰し、NHK朝の連続テレビ小説「心はいつもラムネ色」で人気を獲得した後、「弁護士・高林鮎子」や「はぐれ刑事純情派」などの人気ドラマに出演し、幅広い世代から支持を得ています。
さらに読む ⇒こいもうさぎのブログ出典/画像元: https://koimousagi.com/33154.html様々なドラマに出演され、幅広い世代から愛されている眞野あずささんですが、その裏には、ご自身の努力と葛藤があったことが伺えます。
眞野あずささんは、1957年生まれの神奈川県鎌倉市出身の女優です。
姉は女優の真野響子さんで、2人姉妹です。
大学在学中に『週刊朝日』の表紙を飾ったことがきっかけで芸能界入りし、1982年にテレビドラマ『風の鳴る国境-明子と早苗』で女優デビューしました。
NHK大河ドラマ『徳川家康』やNHK朝の連続テレビ小説『おしん』などに出演後、故・藤田まことさん主演のテレビドラマ『はぐれ刑事純情派』でバー『さくら』のママ・片桐由美役を演じ、お茶の間に広く顔が知られるようになりました。
以降、刑事ドラマや2時間ドラマで活躍し、特に火曜サスペンス劇場の『弁護士・高林鮎子シリーズ』や土曜ワイド劇場の『検事・朝日奈耀子シリーズ』などに出演し、人気女優として活躍しています。
いや、そりゃ若い頃は、ええとこだけ見せるやろ。みんなそうや。
表舞台からの失踪と苦悩
眞野あずさ、女優引退の真相は?
介護と心労による心身の疲弊。
7年前の引退は、ご本人にとって、非常に辛い決断だったのではないかと思います。

✅ 女優の眞野あずさは、7年前に芸能界を引退し、その後は母とパートナーの介護に専念していました。
✅ 眞野あずさは、1989年に結婚し、2005年に離婚しました。その後、会社社長のAさんと交際していましたが、Aさんの体調不良により、眞野あずさは介護を担うことになりました。
✅ 眞野あずさは、母とパートナーの介護で心身ともに疲弊し、精神的に不安定になったことから、芸能界を引退しました。
さらに読む ⇒ポストセブン出典/画像元: https://www.news-postseven.com/archives/20230427_1864533.html?DETAIL母とパートナーの介護に専念されていたとのこと、大変な状況だったと思います。
女優の眞野あずさは、7年前に表舞台から姿を消し、その間、人生は大きく様変わりしていました。
彼女は1957年生まれ、聖心女子大学在学中に芸能界入りし、姉の真野響子と美人姉妹女優として活躍。
数々のドラマに出演し人気を博した。
1989年に結婚したが、子宝に恵まれず、2005年に離婚。
2010年に脳梗塞で倒れた実母の介護を姉弟3人で協力して行い、2015年に『婦人公論』でその苦労を語った。
しかし、その後はメディアへの露出が減り、所属事務所のホームページからも名前が消えた。
知人によると、眞野は離婚後、会社社長のAさんと交際していたが、Aさんの体調不良により介護をするように。
母とAさんの世話に奔走し、心身ともに疲弊し、精神的に不安定になったという。
介護は、本人だけでなく、家族にとっても大きな負担となるものです。眞野さんの決断は、決して簡単なものではなかったでしょう。
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