ケーシー高峰さんって、どんな人だったの?医事漫談の面白さとは!!?
白衣姿で医学漫談を繰り広げ、お色気ネタと軽妙なトークで愛された芸人、ケーシー高峰。医大生から芸能界へ転身、数々の苦難を乗り越え、晩年まで舞台に立ち続けた。その笑いと人生観は、多くの人々に感動と笑顔を与えた。85年の生涯を駆け抜けた、その足跡を振り返る。
💡 ケーシー高峰さんは、医学部出身の漫談家です。
💡 医学知識を交えながら、お色気ネタを披露する「医事漫談」で人気を博しました。
💡 晩年は、認知症予防の大切さを訴えていました。
それでは、ケーシー高峰さんの人生について、詳しく見ていきましょう。
ケーシー高峰さんの生い立ちと芸風
ケーシー高峰、医事漫談で何を披露?
医学知識をお色気ネタで紹介!
ケーシー高峰さんの生い立ちと芸風について、詳しく見ていきましょう。
公開日:2019/04/10

✅ 漫談家・ケーシー高峰さんが4月8日、肺気腫のため85歳で亡くなりました。
✅ ケーシー高峰さんは医学部出身で、お色気ネタを交えた「医事漫談」で人気を博しました。
✅ サンドウィッチマンの伊達みきおさんはブログでケーシー高峰さんを悼み、「東北芸人の超大先輩として、いつも尊敬しておりました」とコメントしました。
さらに読む ⇒ハフポスト日本や世界のニュース、会話を生み出す国際メディア出典/画像元: https://www.huffingtonpost.jp/entry/takamine_jp_5cad5161e4b0d6eb63c13eb9医学部出身で、お医者様になる道を選ばずに、芸人を目指したとは、驚きですね。
ケーシー高峰さんは、1934年生まれの漫談家・俳優です。
日本大学医学部に入学後、芸能の道に進み、学生時代から司会業を務め、漫才コンビ「大空はるか・かなた」を経て、「ケーシー高峰」に改名しました。
白衣に黒縁メガネ、聴診器を首から下げ、お色気ネタを交えて医学知識を紹介する「医事漫談」で知られており、「セニョール」「グラッチェ」などのラテン語のあいさつも人気を博しました。
正月の演芸番組の顔として、映画やテレビ番組で幅広く活躍しました。
うん、漫才コンビ時代は、どんな感じやったんやろか?
医学部中退と母との和解
医者辞めて芸能界!ケーシー高峰、母との感動秘話とは?
ドッキリで和解!医事漫談で活躍中!
ケーシー高峰さんの医学部中退と、母親との関係について、お話しましょう。

✅ ケーシー高峰さんは、医学部を途中でやめて芸人を目指したため、医師の家系である母親から勘当された。
✅ その後、芸人として成功し、母親との関係も修復されたが、母親はケーシー高峰さんが医師になることを期待し、芸人になったことについて「医師がだめなら理学療法士は?歯科衛生士もいいんじゃないか」などと言っていた。
✅ ケーシー高峰さんは、自身の経験から、リハビリや認知症予防の重要性を訴え、医事漫談を通して、人々の健康について啓蒙活動を行っている。
さらに読む ⇒ヨミドクター読売新聞による医療・健康・介護のニュース情報サイト出典/画像元: https://yomidr.yomiuri.co.jp/article/20100812-OYTEW59007/母親との関係が、修復できたのは、本当に良かったですね。
ケーシー高峰さんは、医学部を途中でやめて勘当された過去を持ち、現在は医事漫談で活躍しています。
医師の家系に生まれたものの、医学部を途中でやめた理由は、父親の影響で芸能界に興味を持ったためです。
母親は激怒し、勘当されましたが、その後もケーシーさんの舞台をこっそり見に来ていたことがわかります。
母親との和解は、テレビの生放送中のドッキリで実現し、その後は母親もケーシーさんの芸を認めるようになりました。
ケーシーさんは、自身の経験を活かし、医事漫談で健康や認知症予防について語り、観客を笑わせながらメッセージを伝えています。
現在も舞台で活躍しており、認知症予防の重要性を訴えています。
また、俳優としても活動しており、故藤田まことさんから認知症のドラマ企画に誘われたこともあったそうです。
親心としては、子供には医者になってほしいという気持ちは、よく理解できます。
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医学漫談で愛された名優、ケーシー高峰さん。脊柱管狭窄症や肺気腫と闘い、85歳で逝去。笑いと人情味あふれる生涯を振り返ります。